「習慣化」でうまくいく〜二つの「トトノエル」の実践

何事でもうまくいくための「習慣」を身につけるために、私が日々実践していることを中心にお伝えします。

エジソンの言葉

今日はある企業様の工場で講演をして来ました。

 

最近、よくこういう活動もさせていただいています。

 

私だけでなくコンサル会社の方と一緒にやるのですが、

その方が発明家のトーマス・エジソンの言葉を引用していました。

 

その言葉が良かったので、

それ以外にもどんな言葉が残っているかネットで調べてみました。

 

その方が引用していた言葉はこんな言葉でした。

 

「一日八時間労働制に感じた危機感は、労働時間の不足などではない。
 働くということが、ただの決まりきった作業になってしまうということだ」

 

労働(仕事)を単なる「作業」と捉えてしまうのか、

そうではない別の何か「価値あるもの」として捉えるのか、

 

そんなことを考えさせられました。

 

ネットで調べて見つけたものでは、これと関連するようなこんな言葉もありました。

 

「わたしの人生が、一日八時間労働で成り立っていたとしたら、

 こんなに多くのことを成し遂げることは、出来なかっただろうね」

 

「わたしは、一日八時間労働制に反対するつもりはない。

 しかし、アメリカの勤勉な若者たちまで、

 怠け者と足並みそろえることになるルールを

 やみくもに認めるのはどうだろうかと思っている」

 

働くということの本質を考えさせられます。

 

これは割と有名な言葉かもしれません。

 

「「失敗?」これはうまくいかないということを確認した成功だよ」

「失敗」=マイナス、ではないですよね。

でも、いつの間にか「失敗」=マイナス、つまり「してはいけないこと」の

ように私たちは思い込んでいるかもしれません。

 

「もちろん、生まれつきの能力の問題も、まったく無視はできない。

 それでもやはり、これはおまけみたいなものだ。

 絶え間なく、粘り強く努力する。

 これこそ何よりも重要な資質であり、成功の要といえる」

 

持って生まれた能力の差はあるでしょう。

しかし、それは自分たちが思っているほど決定的な差を生み出すものでは

ないのかもしれません。

うまくいく人とそうではない人の差は「諦めないか、諦めてしまうのか」の違いだけかもしれません。

 

「なぜ成功しない人がいるかというと、それは考える努力をしないからだ」

私たちは「考える」ことを教えられてきています。

少なくとも学校などでは「考える」ことを訓練してきているはずです。

 

だから、多くの人は「考える」ことをしていないわけではありません。

普通に「考える」ことはしているはずです。

 

しかし、それでもうまくいくかいかないか差が出るとすれば、

「考える」方向性を間違えているのかもしれません。

 

うまくいかない人の考える方向は、大抵の場合、

「過去」に向かっています。

 

逆に成功する人の考える方向は、

「未来」を向いています。

 

「過去」に向いているということは、

「原因」を求め、様々な「理由」や「要因」を考えているということです。

 

「未来」に向いているということは

「目的」に向かい、そのための「解決策」や「手段」を考えているということです。

 

端的に言えば、使う言葉が変わってきます。

 

問題に直面した時に、最初に出てくる言葉が

 

「なぜだ?」か「どうしたら?」

 

のどちらなのか?

 

「なぜだ?」は、自然と「原因」を探ります。

「どうしたら?」は、自然と「解決策」を考えます。

 

どちらも必要なことではありますが、先に進んでいくためには

「どうしたら?」の方が効果的なことも多いです。

 

今日は、エジソンの言葉を読みながら、思い浮かんだことを書いてみました。

 

今日もここまでお読みいただきありがとうございます。

  

では、また。

毎朝の思考習慣:今日のご機嫌宣言!「やりきろう!」

【今日のご機嫌宣言!】(2018.12.10

 

自分の機嫌は自分でとる!!

今日は「やりきろう!」。

 

「やりきろう!」と考える。

 

漠然と「やる」ではなく

意志を持って「やりきる」 。

 

他のことを考えながら「やる」ではなく

目の前のことをただ「やりきる」 。

 

過去の後悔にとらわれず

未来の不安に揺らぐことなく

今ここでやるべきことをただ「やりきる」 。

 

不安も心配も必要ない。

 

結果は後からついてくる。

 

やりきったら結果はついてくる。

 

やったなりの結果はついてくる。

 

結果が出るかどうかを心配することはない。

 

結果を出すために、決めたことをやりきる。

 

今ここでやりきる。

 

今日もごきげんな1日を!!

できない時もあるのを知っておく

継続は力なり。

 

そんな風に言われて育ってきました。

 

確かに続けることは素晴らしいです。

 

続けることで力もつくでしょう。

 

ところでこの「継続」は毎日でなければダメなのでしょうか?

 

毎日続けるものもあれば、毎日ではなく毎週とか毎月なんてのもありでしょう。

 

ただ「継続は力なり」の「継続」はなんとなく「毎日」をイメージしてしまいがちです。

 

実際に何かを続けようとする時も、「毎日」やることを決めたりしがちです。

 

それはそれで良いですが、この場合、こんな問題にぶつかります。

 

毎日続けるつもりだったけど、今日はできなかった、、、

 

さて、そんな時にどう感じてしまうかです。

 

ああ、結局続けられなかた、、、

やっぱり自分はダメだな、、、

 

昔の私はこんな風に感じてしまいがちでした。

 

そして、もう諦めてしまいます。

 

全てが無駄になってしまったと感じていました。

 

しかし、本当にそうでしょうか?

 

途切れたとしても、そこまで続けたことに意味はないのでしょうか?

また、途切れたとしても、そこからやり直すことは意味がないのでしょうか?

 

そんなことはありません。

 

理想を言えば、途切れることなく続けられる方が良いでしょう。

 

でも、実際にはそれは難しいことでもあります。

 

続けられない方が普通かもしれません。

 

だとしたら、最初から

 

「続けられない時もある」

「できない時もある」

 

と決めておくのもありかもしれません。

 

最初から、そう決めておけば、続けられなかった時に

 

「ああ、これがそのタイミングだな」

 

と感じられるだけですみそうです。

 

1回くらいはできないことがあるのが普通だ

 

と思っておけば、そこで諦めることなく次を始められそうです。

 

最初から1回は休んでいいんだ、なんて思っている方が気が楽です。

 

なぜ、今日はこんなことを書いているかというと

 

今日は書くのやめようかな

 

なんて、さっきまで思っていたからです。

 

今日はホテル泊まりで体調も今ひとつだし、寒いし、、、、

まあ、そんな日に無理しなくてもいいよな、、、

 

なんて思っていました。

 

でも、そんな風に考えているからこそ、

その1回を今日使うのも、なんだか勿体無い気がしてきました。

 

で、結局、こうして書くことにしました。

 

最初から、

 

できない時=例外がある

 

ということを想定しているからこそ、続けられるのかもしれません。

 

今日もここまでお読みいただきありがとうございます。

  

では、また。

毎朝の思考習慣:今日のご機嫌宣言!「手を広げてみよう!」

【今日のご機嫌宣言!】(2018.12.9

 

自分の機嫌は自分でとる!!

今日は「手を広げてみよう!」。

 

「手を広げてみよう!」と考える。

 

何かをずっと握ったままだと

新しいものは掴めない。

 

いつまでも力いっぱい握りしめていなくてもいい。

 

指先、手のひら、

少し緩めていってみよう。

 

知らず知らずのうちに

肩や背中もこわばっていたりする。

 

広げて、緩めてみよう。

 

滞っていた血流が動きだす。

 

身体の隅々に新鮮な血液が回り出す。

 

頑なになりすぎず、少し力を抜いてみよう。

 

身体が楽になると、心も楽になってくる。

 

自分で自分を楽にしよう。

 

今日もごきげんな1日を!!

 

自分で決めている

どんな時でも「自分で決められるもの」があります。

 

それは「感情」です。

 

「感情」は誰でも自分で決められる??

 

メンタルの強い人ならともかく

「誰でも」はちょっと違うんじゃないかな、、、

 

そんな風に思っているかもしれませんね。

 

いえ、自分で自分の感情は決められるんです。

なぜなら自分の感情は自分で決めているから。

 

わかったようなわかんない言い方ですね。

 

これは感情が生ずるメカニズムを理解しておく必要があります。

 

例えば、昨日一日を振り返って

自分がどんな感情で過ごしたかを

思い出してみてください。

 

朝起きた時はどんな気分でしたか?

その後、顔を洗った時は?

朝食を食べている時は?

昼間はどんな気分で過ごしましたか?

夜はどんなでしたか?

一日の内で色んな感情の変化があると思います。

 

では、何故そんな感情になりましたか?

何故、そんな気持ちを感じましたか?

 

多分、何かの理由があるはずです。

 

大抵の場合、誰かの言動や周囲の出来事など

が理由になっているのではないでしょうか?

 

朝から「雨」だから「憂鬱」

「家族に文句言われて」「むかつく」

「渋滞」にはまって「イライラ」

「ランチが美味しくて」「ハッピー」etc

 

「自分以外の何か」によって

「自分の感情」が生じています。

 

普通はそう思いますよね。

しかし、本当はそうじゃないんです。

 

自分の感情を作り出しているのは

「自分自身」なんです。

 

もう少し正確に言うと

 

「自分の脳の”ある機能”」によって

 

感情が生じています。

 

出来事はそのきっかけに過ぎません。

 

その機能とは

 

「認知」

 

と呼ばれるものです。

 

「認知」とは、

 

出来事に「意味をつける」という機能です。

 

「雨」は嫌なものだと意味付けるから「憂鬱」

「文句を言われる」ことは好ましくないと意味つけるから「むかつく」

「渋滞」は自分の邪魔をするものと意味つけるから「イライラ」

「ランチが美味しい」のは素敵なことだから「ハッピー」

 

こんな感じです。

 

実は「雨」の所為で「憂鬱」ではないんです。

 

「雨」を嫌なものだと“自分が認知している”から「憂鬱」なんです。

 

何かの所為、誰かの所為で

私たちの感情が生じている訳ではないのです。

 

「何か」や「誰か」はきっかけにはなりますが、

それ自体が私たちの感情を決定している訳ではないのです。

 

これは、とても大事なポイントです。

 

なぜなら、何かや誰かの所為で私たちの感情が決まってしまうなら

私たちは自分ではどうしようもなくなってしまうからです。

 

つまり、心の状態を整えようと思っても

自分では手の出しようがないことになってしまいます。

 

でも幸いなことに、そうじゃないんです。

 

感情は自分の中でしか生じてきていないんです。

 

だから、自分で自分の感情を上手く扱うこと、

つまり、自分で自分の心を整えることが出来るんです。

 

今日もここまでお読みいただきありがとうございます。

  

では、また。

毎朝の思考習慣:今日のご機嫌宣言!「呼吸を意識する」

【今日のご機嫌宣言!】(2018.12.8

 

自分の機嫌は自分でとる!!

今日は「呼吸を意識する」。

 

「呼吸を意識する」と考える。

 

どんなペースで呼吸している?

 

早い?ゆっくり?

浅い?深い?

 

意識をすれば自分で

呼吸を整えることはできる。

 

ゆっくりと息を吐き出し、

深く息を吸ってみる。

 

それだけで

気持ちが落ち着いてくる。

 

自然と姿勢も良くなっている。

 

自然と顔も上がっている。

 

自然と落ち着いた感じになってくる。

 

身体が整うと、心も整ってくる。

 

身体は意識すれば制御できる。

身体を通して、心も扱える。

 

身体を使えば、簡単に心は整えられる。

 

今日は、呼吸を意識して

心を整えてから始めてみよう。

 

今日もごきげんな1日を!!

さて、自分はどうなんだろう?

研修などで私のお伝えしていることは、

今まで常識と思っていたことと「ちょっとずれた」ものが多くあります。

 

常識の枠を外して考えてもらうきっかけにしたいからです。

 

当然、質問を受けることも多いです。

 

その質問には、どうも2つの種類があるように感じるのです。

 

「相手(この場合は私)の言っていることを理解しよう」としてする質問と

 

「今までの自分が間違っていないということを確認する」ための質問の2つです。

 

「相手の言っていることを理解しよう」として質問される方は、

何かを本気で求めて、自分に変化を起こしたいと思っている方が多いです。

 

一方、「今までの自分が間違っていないことを確認する」というのは、

「今までの自分の考え方や行動は間違ってないですよね」という感じです。

 

基本的に私は間違っていることなどないと思っています。

 

もし上手くいってないことがある場合、

 

今までと違う考え方を取り入れて行動を変えることを試してみてはどうでしょうか

 

というだけのことです。

 

ですから、決して質問された方を否定することもありません。

 

前者の質問をされる方は、

自分の考えはひとまず脇において、

素直に私の話を受け容れようとされます。

 

後者の質問をされる方は、

まず自分が間違っていなかったことを確信してから

私の話を聞こうとしています。

 

別の言い方をすると、

自分の考えが間違っていないかどうかが一番気になっていて、

相手の話を理解することはその次のような感じです。

 

こうした場合、

私の話を理解したように見えても、

考え方や行動に変化を起こすことは少ないように感じています。

 

私のお伝えしていることが100%正しいという訳ではありません。

私の場合はうまくいった、という実体験をお伝えしているようなものです。

全ての人に同じように当てはまるかどうかはわかりません。

 

だから、私の思う通りの考え方や行動になっていただかなくても当然いいのですが、

ちょっともったいないな、とも感じます。

 

素直に受け入れようとする方は、

必要に応じて自分をどんどん変化させていくことが出来ます。

 

一方、そうでない場合、

そのチャンスをみすみす逃してしいるように思えてしまうのです。

 

やってみて、違うならやめればいいだけ。

やる前から色々確認し、やらない理由を見つけようとしているように思えます。

 

と書きながら、ふと、自分はどうだろうかと感じました。

 

自分の方こそ、自分自身の考えに固執して、

他人の話を素直に聴いていないことがあるのではないか?

 

気になるということは、少なからず自分にも同じようなことがある可能性が高いです。

 

素直に受け入れて、実践をする自分であろう。

 

改めて、そう思っています。

 

今日もここまでお読みいただきありがとうございます。

  

では、また。