「習慣化」でうまくいく〜二つの「トトノエル」の実践

何事でもうまくいくための「習慣」を身につけるために、私が日々実践していることを中心にお伝えします。

批評眼は持つべし、されど、、、

「批評眼は持つべし、されど批判的態度は慎むべし。

 すべからく他を批判するの眼を自己に返照しきって

 創作実現へと踏み出すべし」

 

私の大好きな「森信三」先生の言葉です。

 

日大アメフト選手の償いとメディアの無慈悲

https://toyokeizai.net/articles/-/221918

 

FBでシェアされていた上の記事を読みました。

その中から一部抜粋します。

 

ここから

各局のスタッフたちは、20歳の学生に「監督やコーチに対する怒りと憎しみを引き出そう」とする誘導的な質問を続けたのです。勇気を振り絞って経緯の詳細を語ったにも関わらず、「まだ足りない」「もっと決定的な言葉を引き出そう」と似た質問を浴びせ続けるのは、配慮に欠けるとともに、番組の都合を優先させているだけではないでしょうか。

このような質問ラッシュは、不祥事を起こした芸能人、ビジネスパーソン、政治家などを追い込みたいときの常とう手段。しかし、今回の相手は、保護者や学校から守られてしかるべき学生であり、すでに言えることはすべて言っていただけに、メディアが寄ってたかって拷問をしているように見えてしまったのです。

そのほかにも、「新監督や部のメンバーに伝えたいことは?」「(今後も)アメフトやったほうがいいんじゃないですか?」などと若者を試すような無神経な質問もありました。そんなメディアの悪意に引きずられず、「今は考えられません」「その立場にありません」と答え続けた宮川選手が立派に見えたほどです。

各局のスタッフたちが、「それが私たちの仕事」「これはジャーナリズム」と思っているとしたら、首をかしげざるを得ません。もし番組のプロデューサー(スポーツの監督に近い立場)やディレクター(コーチに近い立場)からの指示でこのような質問をしたのなら、程度の差こそあれ、「日大アメフト部の図式と似ているのではないか」とすら感じてしまいました。

ここまで

 

この部分を読んだ時に、先に書いた森信三先生の言葉を思い出しました。

 

いや、正直に言いましょう。

 

最初は、ただマスコミ各局スタッフの方達の態度や言動に腹が立ち

「ひどいことをする奴らだ」

「そう、ここに書いているように、日大の指導者やコーチなどと

 全く同じ、本質的に変わらない人たちだな、、、」

なんて思いました。

 

しかし、その後に気がつきました。

 

これって全く自分が「ひどい奴ら」だと思っている人たちと自分も同じなんじゃないか??

 

そのまま気がつかずにマスコミ批判的な言動を安直にしてしまうことこそ

無責任に無自覚に他人を傷つける言動をしていることと一緒ではないだろうか?

 

そこではじめて森信三先生の言葉を思い出したのです。

 

物事の善悪を見分けられるようになるためには「批評眼」は必要です。

 

ただ素直になんでも受け入れるだけでなく

自分なりに少し違う角度で物事を見ることで

より良い判断ができるようになると思います。

 

しかし、これは全て自分の成長のためであり、

他人を評価したり裁いたりするためのものではありません。

 

自分の身の周りに起こる出来事は全て自分にとっての学びであり

自分にとっての成長の材料のようなものなのではないでしょうか。

 

他人の言動の是非を大声で問うようなことをする前に

 

我が身に置き換えてみたら、自分はこれから何を学ぶべきのなのか?

 

を自分に問いかけ続けることこそが

大事なことではないかと考えています。

 

少なくとも、自分の「成長」と他者への「貢献」を大事な価値観としよう

としている自分にとっては、そう思えます。

 

今日もお読みいただいてありがとうございます。

 

では、また明日。