「習慣化」でうまくいく〜二つの「トトノエル」の実践

何事でもうまくいくための「習慣」を身につけるために、私が日々実践していることを中心にお伝えします。

「罰」では人は伸びない

規則を破ったから「罰」を与える。

約束を破ったから「罰」を与える。

 

指導者がそんな風にすることがよくあります。

 

「罰」を与えることの目的は、、、もちろん

二度と規則や約束を破らないようにすること

ですね。

 

では「規則を守ること」や「約束を守ること」の目的は

何なのでしょうか?

 

その時々で色々なことがあるでしょうし、

一概には言えないかもしれません。

 

しかし、その目的の一つとして

 

「相手の成長」

 

が多くの場合含まれていると思います。

 

では「罰を与えるということ」は

「相手の成長」にとって有効な手段なのでしょうか?

 

確かに何の効果もないことはないでしょうが、

相手の成長を促し、その力を発揮させるようなことには

必ずしも繋がっていないように私には思えます。

 

「罰」は外部からの「抑止力」としては働きます。

 

これは基本的に抑え込む力です。

 

「やってはいけないことをやらない」

 

ということには繋がりますが

 

「やるべきことをやる」

 

とはならないケースが多いような気がします。

 

少なくとも

 

「やるべきこと」を「自ら進んでやる」

 

ということにはなっていないように私には思えて仕方がありません。

 

「罰」という抑止力が働いている間は

不都合なことはしないかもしれませんが、

より良い方向へ自ら考え変化を起こしていくようにはなりません。

 

自分にとっての嫌なことは避けるという行動は強化されるでしょうが

 

自分が望むことを諦めずに追求していこう

 

という姿勢は育まれないように感じます。

 

遊びの中での「罰ゲーム」は楽しかったりしますが

 

「罰」を与えることは「人」の成長には繋がっていない

 

やはり、私にはそう思えます。

 

成長に繋がっていない、だけならまだしも

成長を阻害しているかもしれません。

 

もし「罰」を与えるという方向で考えてしまうなら、

 

本当にそれが本来の目的にとって一番有効な手段どうか

 

を立ち止まって考えてみてもいいのではないでしょうか。

 

今日もお読みいただいてありがとうございます。

 

では、また明日。