「習慣化」でうまくいく〜二つの「トトノエル」の実践

何事でもうまくいくための「習慣」を身につけるために、私が日々実践していることを中心にお伝えします。

「謝る」ことで自分が整う、自分が整うと、、、

昨日からの続きです。

 

自分が正しいと思い込み、自分を被害者のように勘違いし、

相手を非難し、責めることをしていた自分に気がついた私は相手の方に謝ることにしました。

 

気がついた時点ですぐに謝りのメッセージをLINEに入れました。

 

相手はわざわざこちらのいる所まで来る、と言っていましたが、

もう、私の中ではスッキリしたので、特にこなくてもいいと伝えました。

 

でも、相手は来ると言います。

 

どちらでも構いません。

何しろ、自分はもうそのことから解放されてとらわれを捨てましたので、、、

 

ただ、私と一緒にいる方はその相手と揉めて、いまも関係がこじれたままです。

 

知らずに来ても相手も気まずいだろうし、

そのことも伝えて無理にこなくてもいいとも伝えましたが、

やっぱり来ると言って来ますので、

こちらの方にも了解をもらった上でくるのを待つことにしました。

 

そして、その揉めていた相手の方がやって来ました。

 

さあ、相手の方はどうなっていたと思いますか?

 

今までと違って、こちらに自分の非を認めて謝ったと思いますか?

 

答えは、No!です(笑)

 

今までのその人らしい、長々と言い訳を始めました。

いつもなら、それを聞いていると腹が立つのですが、

今回はなんとも思いません。

 

よくよく考えてみると、今までは最初から腹立たしく思っていて

相手の言うことなんて一つも聞いていなかったように思います。

(聞いてはいるけど、耳には入ってない状態でした)

 

今回は、自然と受け止めて、相手が色々まだ言いたそうでしたが、

 

改めて、こちらから謝りました。

 

「色々ごめんなさい」

「心無い言葉を投げかけてしまい、嫌な思いをさせてしまってすみません」

「今日も来ずらかっただろうに、こんな風に会いに来てくれてありがとうございます」

 

そんなことを相手に伝えました。

 

相手は、自分は悪気があって何かをしたり言った訳ではない

といつもと同じようなことを相変わらず言っているのですが、

不思議と、それが今までとは違って聞こえます。

 

今までは、後から言い訳しているようにしか聞こえなかったことが、

本当に悪気はなくちょっと考えが至らなかっただけなんだとうな

と思って上げられるのです。

 

まあ、そんなことも今の私には正直どうでもよくて、

もう全てが終わったことでそこにとどまっている必要のないことになっていました。

 

さて、私とはそれでいいのかもしれませんが、もう一人の方とはどうなったでしょうか?

 

私はトイレに行きたくなったのですが、そうすると二人きりになってしまいます。

多分気まずいだろうな、なんて思いながらもこちらも我慢できないので席を外しました。

 

戻って来てみたら、二人で話をしています。

もう絶対口をきかないなんて言っていた人が話をしています。

 

お互い、目に涙を浮かべながら話をしています。

 

内容は触れませんが、お互いに少し相手の気持ちに寄り添ってあげることができたようです。

 

そんな感じで、最後はとても和やかな雰囲気でその場は終わりました。

 

私だけでなく、おそらく他の二人も少しスッキリした感覚になったのではないかと思います。

 

とらわれから解放された感じが広がったように思います。

 

私は「謝る」ことにより、自分のとらわれから離れることができました。

そうして、自分が整った状態で人と接する時、相手を素直に受け入れることができました。

すると、相手も私に乱されることなく、自然と整った状態になって行きました。

整った状態同士でのコミュニケーションが取れると、とても気持ちのいい場が出来上がります。

 

自分が整うことで、それは周囲にも波及し、自分が関わる場が良い空気に包まれます。

そんな空気に包まれていると、さらに自分にいい影響が出て来ます。

どんどん良い影響がループしていきます。

 

こんな経験をすると、自分の機嫌を手放せなくなります。

 

今日もここまでお読みいただきありがとうございます。

 

では、また。