「習慣化」でうまくいく〜二つの「トトノエル」の実践

何事でもうまくいくための「習慣」を身につけるために、私が日々実践していることを中心にお伝えします。

「信じる」という前に、、、

「あなたのことを信じてますから、、、」

「君たちを信じている、、、」

 

他人に対して「信じる」という言葉を使うことがあります。

 

ふとある人のことを思い出しました。

詳しくは書きませんが、

 

その人は、

 

「あなたたちのことを信じているから、、、」

 

と言ってくれました。

 

ただ、何かその言葉を素直に受け取れない自分がいます。

 

今までも同じようなことをその人から言われているのですが、

いつも素直に受け取れません。

 

そんな勝手に信じるとか言われてもなあ、、、

 

正直、そんな風に思っていました。

 

そして結果が出せない時に、

その人はすごくがっかりした態度や言動を見せてしまいます。

 

それを見た自分は、何だかあまりいい気はしません。

 

次は頑張ろうという気持ちにもなりませんでした。

 

私が未熟で幼かったからかもしれません。

 

しかし、自分のことを棚に上げて考えてみると

 

「信じる」という言葉は、実は、本当に「信じる」ではない気もします。

 

一体、その人は何を「信じていた」のでしょうか?

 

いい結果が出ることを「信じていた」のだと思います。

 

これは「信じる」という言葉を使っていますが、

本当は「期待する」ではないでしょうか?

 

いい結果が出ることを「期待している」ということを

「信じている」と言っているだけに思えます。

 

そうして振り返ってみると、

自分も「信じる」という言葉を

自分の思っているようになると「期待する」

という場合に使っている気がします。

 

明らかに「信じる」と「期待する」は違います。

 

でも、無意識のうちに「強く期待している」ときに

「信じる」という言葉を使っているかもしれません。

 

なぜ、こうなるのでしょうか?

 

もしかしたら、自分の「不安」を消そうとして「信じる」という言葉にしているかもしれません。

 

本当に相手を信じているなら、そもそも「信じる」なんて言葉を使わないかもしれません。

いちいち「信じている」なんて口に出さないし、そんな意識していません。

 

もしかしたら「信じていない」からこそ「信じる」と言っているかもしれません。

 

そんなことを考えていたら、

安易に「信じる」という言葉が使いにくくなってしまいました(笑)

 

「信じる」前に、ちゃんと相手を「認めている」だろうか。

相手の存在を無条件に「受け入れている」だろうか。

それなしに、自分の期待を投影して「信じる」と言っていないだろうか。

 

雨を見ながらそんなことを考えていた今日でした。

 

今日もここまでお読みいただきありがとうございます。

 

では、また。