「習慣化」でうまくいく〜二つの「トトノエル」の実践

何事でもうまくいくための「習慣」を身につけるために、私が日々実践していることを中心にお伝えします。

「何をするか」だけではわからない

毎年呼んで頂いている企業様での研修でした。

もうかれこれ6年目になります。

 

こちらの研修は1日で終わりでなく、その後3ヶ月程度毎月フォローを行います。

 

今日はその今年1回目のフォローでした。

前回から約1ヶ月の間のことを振り返りグループで気づきを共有します。

 

ある方が部下の方の様子を意識して見る(観察する)ようにしたことを話してくれました。

 

作業しているPCの画面やその時の様子を見ていたら、

どうも、進んでいないように感じ、何か困ってるのではないかと声をかけて見た。

まさに、その部下の方は行き詰まっていたようで、

ちょうど良いタイミングでサポートしてあげることができた

 

といった内容でした。

 

それを聴いていた別の方が質問をされました。

 

「自分は他人から見られるのが嫌なので、

 敢えて見ないようにしていますが

 やはり見ないといけないのでしょうか?」

 

さあ、どう思われますか?

 

・・・

・・・

・・・

 

私はすぐにはその質問にお答えしませんでした。

その代わりにこちらから質問を返しました。

 

「どうして、そのように思われるのですか?」

 

「実は、以前に上司からいつも見られていて声をかけられて

 それがとても嫌だったんです。
 だから、自分と同じように見られるが嫌な人もいると思うからです」

 

さて、どう思われますか?

 

・・・

・・・

・・・

 

こういう質問はよくあります。

 

この場合であれば「見る」という行為が「良い」か「悪い」かを聞かれています。

 

その行為、行動が正しいのか間違っているのか、それを聞かれます。

 

さて、この場合「見る」のはいいのでしょうか、それともダメなのでしょうか?

 

実は、行動だけを取り上げて、その是非を問われてもわからない場合があります。

 

その「行動」を「どんな気持ち」で行っているかで違ってしまうのです。

 

今回の部下を「見る」ことにした受講者の方は、どのような気持ちでそれをしていたかというと

 

「何か、困っていることないだろうか」

 

という相手を思いやる気持ちで行っています。

 

一方、質問された方の上司の方は、これは想像になりますが、

 

「何か、こちらの不都合になるようなことをしでかしていないか」

 

という自分中心の考え方で行っていたように思えます。

 

こうなると同じ「見る」であっても

 

前者は暖かい優しい気持ちで「見守る」

後者は厳しく疑いの気持ちで「見張る」

 

という違いが出てきます。

 

相手の立場に立って考えた時、

どちらの方が受け入れられて、

どちらが受け入れにくいかはお分かりいただけると思います。

 

「何をするか」ということは大事ではありますが、

 

それと同等、いや、それ以上に

 

「どんな気持ち」でそれを行っているかも大事なことです。

 

ここを疎かにしたまま、行動だけで取り繕ってもお互いの関係性はよくなりません。

 

今日もここまでお読みいただきありがとうございます。

 

では、また。