「習慣化」でうまくいく〜二つの「トトノエル」の実践

何事でもうまくいくための「習慣」を身につけるために、私が日々実践していることを中心にお伝えします。

無条件の受容

「無条件の受容」とは、

 

いろいろ条件つけたり理由を求めたりしないで、そのまま受け容れることです。

 

無条件に相手を認めてあげること、と言ってもいいかもしれません。

 

人との関係性を構築するときに、この「無条件の受容」は強力です。

 

とにかく認めてくれる相手に対しては、安心できますし、心を開きやすいですよね。

 

だから、相手といい関係を築こうと思ったら、相手を無条件に受容してあげることが大事です、、、

 

と、頭ではわかるんですが、これって難しいと感じませんか?

 

「理想はそうかもしれないけど、あんなひどいことする奴を無条件に受け容れられないよ」

「明らかに間違っていることをしているのに、それを認めろって言うんですか???」

「そんなこと言ったら、なんでもありでやりたい放題でもいいってことになっちゃいますよ」

 

正直、私もこんな風に思ってました。

 

相手の行動を全て無条件で受け容れることなど、どう考えても無理だとしか思えません。

 

だから「無条件の受容」なんて綺麗事としか思えなかったんです。

 

だけど、ある時気がついたんです。

 

「相手を受け容れる(認める)」と「相手の『行動』を受け容れる(認める)」は違うってことに。

 

例えば、同じことをされるのでも「嫌に感じる相手」と「嫌に感じない」相手がいます。

 

他の人に言われても我慢できるけど、お前にだけは言われたくないよ!

 

みたいに感じることもあります。

 

受け容れられない「行動(言動)」があるのではなく、

その”相手”の言動が受け容れられないのです。

 

そうでなければ、相手によって受け容れられる言動が違ってくることはないはずです。

 

つまり、「行動(言動)」を受け容れるかどうかの以前に、

相手そのもの=相手の「存在」自体を受け容れているかどうかということではないか

 

と思うのです。

 

一方、どんな相手であっても、これだけは受け入れらないという「行動(言動)」もあったりします。

 

だから、「行動(言動)」を全て無条件に受け入れなくてもいい、と思うんです。

 

「無条件の受容」という言葉が求めていることは、

 

無条件に相手の「行動(言動)」を受け容れる(認める)ことではなくて、

 

無条件に相手の「存在」自体を受け容れる(認める)こと、だと思っています。

 

あいつの言っていることは正直受け容れられないが、

そんなあいつでも色んな事情を抱えた自分と同じ存在(人間)なんだ 

 

と、だけ思うような感じでしょうか。

 

自分の場合は、こんな風に感じられるようになってから色んなことが楽になってきました。 

 

そうなんです。

昨日書いた実に簡単なこととは、

 

うまくいかない時は、そもそも私が目の前の人を無条件に受け容れていなかった

 

だけなんです。

  

今日もここまでお読みいただきありがとうございます。

 

では、また。