「習慣化」でうまくいく〜二つの「トトノエル」の実践

何事でもうまくいくための「習慣」を身につけるために、私が日々実践していることを中心にお伝えします。

「気づかせる」の罠

「気づき」

 

私は研修、講演、セミナー、面談などで多くの方に関わります。

そんな仕事の打ち合わせの中でよく出てくる言葉です。

 

「”気づき”が大事」

「”気づき”を与えて欲しい」

「気づかせて欲しい」

 

こんなことをよく言われます。

 

なぜ「気づかせよう」とするのか。

 

多くの場合は

「相手によくなって欲しい」

「幸せになって欲しい」

「苦しい状態から抜け出して欲しい」

といった気持ちが少なからずあると思います。

 

だから「気づいて欲しい」。

それを自分が何とかしてあげないといけないと感じて

「気づかせよう」と考える。

 

相手を「思いやる気持ち」が「気づかせよう」という思考になっています。

 

相手に「気づかせよう」と色々なことをやってみる。

ところがこちらの思っているように相手は「気づかない」。

 

こうなるとうまく「気づかせる」ことのできない自分に落ち込む一方で

多くの場合「気づかない」相手にイライラを感じたりします。

 

これだけのことをしているのに「気づかない」なんて

あいつはダメなやつだ

 

こんな結論に辿り着いてしまう。

 

本当は「相手によくなって欲しい」という「思いやり」の気持ちだったはずが

最後は「相手を非難したり、責めたり、否定する」ことになってしまう。

 

これが『「気づかせる」の罠』です。

 

「気づかせよう」として色々なことをすることが

かえって相手が「気づく」ことを邪魔しています。

 

では、何もしないのがいいのか?

放任するのがいいのか?

 

試してみたけど、一向に何も変わらないし、もっとひどいことになってしまった。

そんなこと、もしかしたらご経験ありませんか。

 

やっぱり、あいつがそもそもダメなんで、こちらが何しても無駄なんだ。

こんな状態では、はっきり言ってお手上げですね。

 

こんな結論になってしまいます。

やっぱり「相手を避難して、責めて、否定する」ことになってしまいます。

 

相手を「思いやる気持ち」がどうして「相手を責める気持ち」になってしまったか。

 

分岐点は自分の「思考」です。

何をしたかという「行動」ではなく、そもそもの「思考(考え方)」なんです。

 

つまり「気づかせよう」という考えがこうさせているんです。

 

では、どうすればいい?

 

それは、、、

 

「気づく機会を邪魔しない」

 

と考えることです。

 

「気づかせよう」と「気づく機会を邪魔しない」は一体何が違うのか。

 

それは

 

相手をコントロールしようとしているか

 

の違いです。

 

気づかせよう自分が相手をコントロールして気づかせよう

気づく機会を邪魔しない相手に委ねて、相手が気づくのを邪魔しない

 

結局「気づかせる」という考え方は、相手の自発的動きを邪魔しているだけなのです。

 

誰にでも「気づく」力はあることを信じ、

その力が発揮できるように

 

「場」を整え(調え)、相手の状態も整える(調える)=乱さないこと

 

しか、自分にできることはないと思うのです。

 

今日もここまでお読みいただきありがとうございます。

 

では、また。