目的と行動があっているか?
人の行動には全て「目的」があります。
その「目的」とは、表面的には色々ありますが、
結局のところ「感情を満たす」ことだと言われています。
例えば「仕事をする」という行動で考えた場合、
お金を稼いで安心して暮らしたい(安心したいという感情を満たす)
一人で生活できるという自信を得たい(自信を持ちたい)
人よりいい暮らしがしたい(自分が上だと思いたい)
新しい能力を身につけたい(成長したい)
世の中の役に立ちたい(貢献したい)
などがあるかもしれませんし、他にも色々あると思います。
人は感情を満たすために行動している。
感情こそが行動の原動力になっている。
しかし、一つ問題があります。
それは、
私たちが自分の感情について意外と鈍感になっている
ということです。
「やりたい」というのは感情です。
「やらなければいけない」というのは思考です。
小さい頃から、私たちは
「やりたい」ことを我慢して
「やらなければいけない」ことをする
ということを、強制されています。
私たちが受けてきた教育は基本的にそのように感じられることが多くないでしょうか。
学校に行くのが好き、なんてことはあっても、
実は授業を受けるのが好きではなくて、
友達と一緒にいられることが楽しかったりします。
多くの時間を割いている授業はほとんどの人にとって、
「受けたい」ものではなく「受けなければならない」ものとして
感じていたのではないでしょうか。
もちろん「やりたい」ことを際限なくやることがいいとは言いません。
「やりたい」ことだけやるというのでは社会性は身につかないでしょう。
しかし、あまりにも「やらなければいけない」ことばかり経験してくると
「やりたい」という感情を疎かににしてしまったりします。
「思考」は鍛えられますが、「感情」の扱い方は慣れていません。
ただ「我慢する」ということだけ教え込まれているかもしれません。
これは「やりたい」という「感情」を否定されるようなことに繋がります。
実は、”「やりたい」こと”だけをやるのは決していいことではありませんが、
「やりたい」という「感情」を否定する必要はありません。
「やりたいこと」=「行動」です。
「行動」は必ずしも全てが認められるものではありません。
でも「感情」を否定する必要はありません。
その感情の奥底にある本当に望んでいるもの(「欲求」)を満たすための
「行動」がNGだというだけです。
別の行動でその「欲求」を満たすことができればOKです。
例えば、アルコール、薬物、ギャンブルなど依存症的なもの
は欲求を満たすための行動が不適切なものになっているだけです。
単に、行動だけを理屈で変えようとしてもうまくいきません。
本当の欲求とそれにふさわしい行動へと変えていかなければいけません。
私が学び取り入れている方法は、こうした本当の欲求を見つけ
それを満たすためにふさわしい行動をとっているかどうかを
自分で振り返ることです。
自分自身、常に適切な行動で欲求を満たしているとは言えません。
振り返り、気づくことで少しずつでも自分を変え続けていきます。
今日もここまでお読みいただきありがとうございます。
では、また。