【「北風」と「太陽」、、と「◯◯」】
「北風と太陽」の童話はご存知ですよね。
旅人のマントを脱がせるために
「北風」は強い風を吹き付けてマントを吹き飛ばそうとするが
強い風を吹きつければ吹き付けるほど、
旅人はマントが吹き飛ばされないように強くマントを握ってしまい
結局、マントを脱がせることはできなかった。
「太陽」は、ただ暖かい光を浴びせ続けることで、
旅人は次第にポカポカと暖かくなり、
しまいには暑くて自らマントを脱いでしまう。
こんなお話でしたね。
相手の行動を引き出すときに、例えばなしとしてよく使われたりします。
わかっているはずだけど、知らず知らずに北風を吹き付けていることが多かったりします。
これでは相手は動きません。ますます縮こまってしまいます。
「太陽」のように、風を直接吹き付けるのではなく、
ただ自分(太陽)が暖かい光(波動?)を出し続けているだけで
相手はマントを脱ぐ(行動をする)
という訳です。
太陽は、童話では「旅人のマントを脱がそう」という意図を持っているように描かれるので、
ここが誤解を生んでいるように感じます。
つまり、自分が「太陽」として「相手に働きかけなければいけない」と思ってしまうのではないか、ということです。
本当の太陽は、そんな意図は関係なく、自分が自分らしいあり方を貫いているだけです。
相手がどうこう、ではなく、自分が自分のあるべき姿を体現しているだけです。
その結果、相手がその状況に応じて必要な行動をとる(マントを脱ぐ)、だけなんではないでしょうか?
太陽が相手に働きかけようとすると、相手に必要以上の熱を送ることになってしまう気がします。
それは「熱風」を相手に浴びせかけるようなものです。
ポカポカ陽気程度なら、マントを脱ぎますが、あまりに厳しい熱風には体を焼かれないためにマントで身を覆ってしまいます。
さらに熱風をきつくしたら、最後は相手を焼き尽くしてしまうかもしれません。
「北風」ではなく「太陽」のように接しているつもりなのに、相手が行動をしない、、、
そんなことを感じる時は
もしかして「熱風」になっていないだろうか?
そんな風に自分を振り返っています。
今日もここまでお読みいただきありがとうございます。
では、また。