外にある「理由」、内にある「思い」
昨日からの続きです。
何か報酬を与えたり、褒めること、
また、逆に
罰を与えたり、叱ること
も相手にとっては自分の外にある要因です。
このようなことで相手を動かそうとすることは
外側の「理由」や「条件」
を与えていることになります。
「理由」や「条件」は「理屈」で考えたもの。
「理屈」はいく通りも出てきます。
立場が違えば、違う理屈・見方が出てきます。
結局、外側の「理由」「条件」は
相手の本来の思いや気持ちには関係なく
自分のものの見方や考え方を押し付けている
ことになってしまいがちです。
結局、外側の「理由」「条件」での行動は
「やらされる」「やらされた」
という感じになってしまいます。
自らが主体的に行動するには
本人の内側にある「思い」
が重要になってきます。
これが「内発的動機」と言われるものです。
この「思い」は一人一人違っています。
相手の「思い」=「内発的動機」を引き出そう
とするとき気をつけたいことがあります。
それは、
とってもらいたい行動自体を
直接的に「やりたい」という「思い」に
なってもらおう
とすることです。
ちょっと、分かりにくい表現ですね。
例えば、ある仕事をしてもらうのに
その仕事自体に実は価値があって
その価値に気づいて「やりたい」と
自らが思って行動してもらう
というようにしよう、とすると
意外と上手くいかないんです。
私もこれで何度も失敗しています。
誰もが共通に感じる「仕事(やること)」自体の
「価値」というものはありません。
「価値」は出来事や物事にあるのではなく
人がそれぞれで「感じる」ものでしかありません。
ここがわかっていないと、
自分が感じている「価値」、つまり
「自分の価値観」
を相手に押し付けることになってしまいます。
これは、外側の「理由」「条件」を与えるのと
同じことです。
「内発的動機」=「内にある思い」は、そもそも
外側にいる私達には分からないものです。
それを見つけられるのは本人だけです。
こう言ってしまうと、
「じゃあやれることはないじゃないか」
と思うかもしれません。
でも、そんなことは無いです。
続きは、また明日。
今日もここまでお読みいただきありがとうございます。
では、また。