「習慣化」でうまくいく〜二つの「トトノエル」の実践

何事でもうまくいくための「習慣」を身につけるために、私が日々実践していることを中心にお伝えします。

”くれない族”を生み出す無関心

自分のことにだけ意識が向いてしまい、

周囲が自分に何もして”くれない”と思い込み

周囲との関係を壊してしまう、、、

 

そんな”くれない族”のことを昨日は書きました。

 

自分のことしか考えず、相手のことを一方的に責めてしまう

 

これは基本的にその人自身の問題です。

 

周囲の人に基本的に問題はないはずです。

 

だから、そんな困った人がいると周囲の人は

 

その人とは、関わらないようにしよう

 

とします。

 

何故なら、問題はその”くれない族”にあると思っているからです。

 

確かにそう言えます。

 

自分がそうなった時も、基本的にいけないのは自分だということもわかっています。

 

しかし、本当にそれだけでしょうか。

 

およそ何かの問題があるとしたら、

関わる人は大なり小なりその問題に影響を与えていることはないでしょうか?

 

周囲の人が自分に「何もしてくれない」と感じてしまう時、

その人は何故そう感じてしまうのでしょうか?

 

もちろん、ただの思い込みかもしれません。

 

しかし、もしかしたら感じているのかもしれません、、、

 

周囲の人が自分に無関心でいることを。

 

人は本能的には仲間を求める生き物です。

 

一人ではダメなのです。

 

このことはまた別の機会に書くことにします。

 

周囲が自分に無関心なことは、とても辛いことです。

 

そんな風に扱われている、ということが人を追い詰めてしまいます。

 

そんな風になるのは、単なる甘えと言えるかもしれません。

 

しかし、人はそんなに強い人ばかりではありません。

 

自分の思いが満たされず、無意識に追い詰められて問題行動に出てしまう。

 

もちろん問題行動をすることがいいことだとは言いません。

 

しかし、一方的にそれを悪いと言えるでしょうか。

 

実は、周囲の人も、何か気づいていることがあったりします。

気がついた時に、ちょっと相手に何かしてあげれば、いいことがあったりします。

 

だけど、そこまで自分がする義務も必然性もないし、、、

 

何もしてあげない、で済まします。

 

特にそれが悪いことではありません。

 

でも、そうして相手に対する関心を捨ててしまいます。

 

そうして、実際、何もしてあげない。

 

そのことが、気がつかないうちに相手を追い詰めている。

 

結局、相手に対する無関心が相手の問題行動を起こす原因の一つになってしまう。

 

”くれない族”は周囲の無関心が生み出しているかもしれません。

 

自分の周囲に起きる問題は、自分がどのような立場であったとしても

何か自分にも問題があるのかもしれない。

 

そのことを忘れてしまうと、一方的に他者を責めてしまいます。

 

お互いに問題はあるとしたら、自分の問題はなんだろう。

 

問題に向かい合う時、自分に対しその問いかけを忘れずにいようと思います。

 

今日もここまでお読みいただきありがとうございます。

  

では、また。