「習慣化」でうまくいく〜二つの「トトノエル」の実践

何事でもうまくいくための「習慣」を身につけるために、私が日々実践していることを中心にお伝えします。

自分で決めているか?

昨日、アンソニー・ロビンズさんの著書の中にある言葉を書きました。

 

「成功」は「正しい判断」の結果である。

「正しい判断」は「経験」の結果である。

そして「経験」は、ほとんどの場合、

「誤った判断」の結果である。

 

この言葉が行き詰まった時の私の背中を押してくれました。

 

とにかく、間違ってもいいのです。

 

間違いを、失敗を、うまくいかないことを

恐れたり、心配したり、不安に思って

行動しないより行動してしまえば、

 

結果の良し悪しに関わらず、前進できるのです。

 

成長できるのです。

 

だから、堂々と間違えましょう。

胸を張って、失敗をしましょう。

毅然とした態度で、しくじってしまいましょう。

 

今日もある方と話していて、そのことを強く思いました。

 

失敗を取り繕ったり、誤魔化したりする人ほど

変化しないし、成長もしていない。

 

偉そうなことを言うつもりはありませんが、

これはまぎれもない事実のように思います。

 

少なくとも、私自身も含め、身の回りの人々のことを振り返った時に

このことは当てはまっています。

 

失敗を取り繕ったり、誤魔化している時は、

結局、同じ失敗を繰り返します。

 

いつも同じようなパターンにはまっています。

 

うまくいかないことがあったとした場合、

 

それは自分の何かが間違っているのかもしれない、と考えるか

 

自分は間違っていないけど、色々なことのせいで上手くいかなった、と考えるか

 

その後の成長には大きな違いがあります。

 

成長とは、子供だけがするものではありません。

 

私たち(私は55歳です)もまだまだ成長していけます。

 

成長とは、自らの意思を持った変化だと私は捉えています。

 

そのためには、自分の身の回りに起こることに対して、

常に、自分の責任を自覚することが必要なのだ、と最近強く感じます。

 

起きたこと、事実に対して、

 

「良い」とか「悪い」という単純な評価ではなく、

 

「そこからの学びは何か?」

 

という態度をとり続けることが、

 

いつまでも成長できるための必須のことに感じます。

 

その態度をとり続けられるためにも、必要なことは

 

「決断する」

 

ということです。

 

自分で決める、自分で決めて行動しているということを自覚しているからこそ

 

起きた結果を自分の責任として受け止められます。

 

色んな条件や、状況に応じて、何かをしているというのは

一見、賢い振る舞い方に思えます。

 

しかし、自分で決めていない、かもしれません。

 

「こういう状況だから、仕方ないよね」

「この場合は、こうするしかないよね」

 

こんな言葉が出るようなら、自分で決めてません。

上手くいかなかったとしても、自分の所為ではないです。

 

この態度からは、成長はもたらされません。

 

どちらの態度が、良いとか悪いということではありません。

 

どちらでも自分で選べます。

 

自分で決められます。

自分で決めているのだから、納得できるはずです。

 

さて、どちらを選びますか?

 

私は、自分で決める生き方を選びます。

 

今日もここまでお読みいただきありがとうございます。

  

では、また。