「習慣化」でうまくいく〜二つの「トトノエル」の実践

何事でもうまくいくための「習慣」を身につけるために、私が日々実践していることを中心にお伝えします。

「易しい」は「易る」

【「易しい」は「易る」】

 

「易しい」の読み方は知ってますね。

これは「やさしい」と読みます。

 

では「易る」は?

これは「あなどる」と読みます。

 

「侮る(あなどる)」と意味は同じようです。

 

「易しい」は「難しい」の反対語です。

 

しかし、その「易しい」は、相手を下に見ているような意味を含んでいます。

 

研修のご相談などを受けていると、時々こんなことを言われたりします。

 

「うちの社員には難しすぎるから、

 もっと易しいものにしてほしい」

 

これは気持ちとしてはわかります。

 

しかし、この言葉を聞くと私は少し悲しい気持ちになります。

 

もっと社員の力を信じてあげられないだろうか、、、

 

そんなことを思います。

 

確かに、今までの取り組みの中で、

そのように判断されることはあったのでしょう。

 

教育面で良かれと思って色々してきたことが、

結果的には何一つ効果が感じられず、

そのように判断してしまったのかもしれません。

 

本当に力が無いのかもしれません。

 

しかし、私が関わってきた中で確信していることは

 

出来ないと評価されている人は

「力が無い」のではなく「力が出せていない」

 

ことの方が圧倒的に多いです。

 

「力が無い」と「力が出せていない」は全く違います。

 

多くの場合、私たちは相手を「力が無い」ものとして

足りない「力をつけさせよう」という対応をします。

 

もちろん、これは必要なことでもあります。

 

しかし、

このことが逆に本来持っている「力」の発揮を妨げてしまうことも

よくあります。

 

よくある、と言うより、実際に力の発揮を邪魔しています。

 

そもそも「力」はあるという前提で考えると

 

「足りない力をつける」ではなく、

「力を発揮する」のを「阻害しているもの」「邪魔しているもの」を

取り除けばいいだけです。

 

これは「力をつけさせよう」という対応とは、全く違ったものになります。

 

相手をどちらで見るかは、根本的に相手に対する

 

「敬意」と「感謝」

 

があるか無いかにつながっているように思えます。

 

相手を自分より「劣った存在」として見るのか

相手を「人」として「敬意」と「感謝」を持って接するのか

 

これにより、表面的にどのような行動で取り繕っても

相手との関係や活動の結果も大きく変わってきます。

 

さて、冒頭に書いた研修のご相談などでも、この見方の違いで次の言葉が変わってきます。

 

「うちの社員には難しすぎるから、、、」

 

「もっと簡単なものにしてください」

「もっとわかりやすく伝えてください」

 

相手を「易った見方での易しさ」からは、

やることのレベルを落としてほしい

となります。

 

一方、そうでない場合は

伝える内容を落とすのではなく、伝え方を考えてほしい

というご相談になります。

 

「敬意」と「感謝」を持って関わる人を見ているか、、、

 

自戒を込めて、振り返っています。

 

今日もお読みいただいてありがとうございます。

 

では、また明日。