「習慣化」でうまくいく〜二つの「トトノエル」の実践

何事でもうまくいくための「習慣」を身につけるために、私が日々実践していることを中心にお伝えします。

「期待」で自分の心を乱してしまう

【「期待」で自分の心を乱してしまう】

 

私たちは色んなことの影響で心を乱してしまいます。

 

他人の言動や身の回りに起きた出来事、、、

 

こうしたもので自分の心が乱れます。

 

心が乱れると、自分の活動の質が落ちます。

 

同じことをやっても、うまくいかなかったりします。

 

心が乱れている状態とは、色々ありますが

 

イライラする

焦っている

落ち込んでいる 等々

 

のどちらかというとネガティブな感情になっています。

 

他人の言動や出来事をきっかけにしてこんな感情を感じます。

 

すると、私たちはそんな他人や出来事の所為で

 

自分の心が乱されている

 

と思います。

 

確かに、他人や出来事はきっかけではありますが

本当は自分で自分の心を乱しているのです。

 

自分でも気がつかずに、自分で心を乱しやすくしていることがよくあります。

 

それの代表的なものが「期待」です。

 

「期待」とは

 

自分の勝手な思い込み

 

であり、「期待している」というのは

 

自分の「思いの押し付け」

 

にしか過ぎません。

 

ちょっときつい言い方に感じるかもしれませんね。

 

でも、実際にそうなんです。

 

自分が相手や周囲に「期待」しているだけなんです。

主語は「自分」なんです。

 

あくまでも主は「自分」。

「相手」のことを考えているような言動をしていたとしても

実は一番気になっているのは「自分」。

「周囲」のことに気を配っている様に見えても

自分の「思う通り」になっているかどうかが一番気になっている。

 

「自分」が思うように(考えているように)なってほしい、

という「願望」と言ってもいいでしょう。

「自分」の「望み」なんです。

「相手」の「望み」ではありません。

「周囲」の「望んでいること」ではないのです。

 

「私の願いを叶えるために、お前たちは頑張らないといけない」

「私の思う様に、周囲の環境もなっていなければいけない」

 

相手や周囲に対する「期待」は、これと同じことです。

 

「期待」通りの間は、心は乱されません。

 

しかし、自分の思う通りに全てがなるわけではありません。

「期待通り」にならないと、、、「期待はずれ」です。

そして、がっかりします。

 

この「がっかり」が埋め合わせられないと、

多くの場合「イライラ」や本格的な「怒り」へと変わっていきます。

人によっては、自分自身に対する「落ち込み」になる場合もあります。

 

これらが結局、自分の「期待」から始まっています。

 

では、そもそも「期待」をしなければいいのか?

「期待」をしてはいけないのか?

 

そこまでする必要はないですし、多分、無理です。

私たちは無意識のうちに「期待」します。

 

「期待」とは「予測」「予想」と似ています。

 

私たちはいちいち意識しないでも、自然と今までの経験から

勝手に色んなことを予測・予想します。

 

「多分こうなるだろう」

「こうなるはずだ」

 

その「予測」や「予想」に対する思いが強ければ、

あっという間にそれは「期待」にすり替わります。

 

「期待しない」「期待することをやめる」のは無理です。

相当の訓練を積めば出来るかもしれませんが、かなり難しいです。

 

「期待」はしてもいいですし、してしまいます。

私も、色んなことを「期待」しています。

「期待」するのを止められません。

 

大事なことは、

 

「期待」は「自分の思い」でしかない

 

ということを知っていることです。

 

知っているだけでなく、そのことを常に意識しておくことです。

心が乱れた瞬間に思い出せる様にすることです。

 

「期待は相手や周囲に関係なく自分が勝手にしているだけ」

 

このこと思い出すだけでも、心の乱れは整います。

 

今日もここまでお読みいただきありがとうございます。

  

では、また。