「習慣化」でうまくいく〜二つの「トトノエル」の実践

何事でもうまくいくための「習慣」を身につけるために、私が日々実践していることを中心にお伝えします。

「見張る」と「見守る」

【「見張る」と「見守る」】

 

改めて、自分の態度を振り返り思うこと。

 

例えば、研修中に受講者の方々がワークをされている時、、、

自分の姿勢はどちらだろうか。

 

「見張っている」のか。

「見守っている」のか、

 

「見張る」は「疑い」の姿勢。

「見守る」は「信頼」の姿勢。

 

講師を始めた頃は、研修中に受講者の方に対し

何か問題があると感じられることがよくあった。

 

悪いところを見つけたら直してあげないといけない、と思い込んでいた。

そのために、受講者の方々を「見張っていた」。

 

本人が気づいていない欠点を自分が見つけて修正してあげる。

それが正しいことだと思っていた。

 

しかし、実際にどうだったのだろう。。。

 

一時的にその場ではそれが良くなったように見えることは多い。

しかし、本当にそれで良いのだろうか?

 

こちらの目を気にしいているから、そうしているだけではないだろうか。

 

本当に本人が変わるきっかけになったのだろうか。

 

普通に考えてみれば、私しか気がつかないことなんて少ない。

今までに気がついて注意をしてあげた人だっているはずだ。

 

でも、それが変わってないとしたら、、、

 

私が気がついて、伝えたからといって、何が変わるのだろうか、、、

 

 

そもそも、自分自身を振り返ってみても、

他人から注意されただけで、素直に行動を改めたことはあるだろうか?

 

確かに、そうしたこともあった。

しかし、それは言われたから、というより

自分で本気で「これはいけない」と思えた場合だった。

 

そうでない時は、その場だけ合わせたようにしていただけだった。

 

行動を変えていくためには「気づき」が必要だ。

 

「気づき」は人から与えられるものではない。

 

自ら「気づく」しかない。

 

だとしたら、自分に出来ることは、

 

「気づき」を感じやすいように環境を整えること

 

だけだ。

 

余計なことに意識をとられずに

一人一人が自分の中に生じる「気づき」への

感度があがる状態に少しでも近づけること。

 

そのためには、どちらの姿勢の方が相手に良い影響を与えるか。

 

「見張られている」と感じると「疑い」が生じる。

「見守られている」と感じると「信頼」が生じる。

 

「疑い」が生じると、「不安」が生まれる。

「信頼」が生じると、「安心」が生まれる。

 

「不安」は心を乱し、意識の集中を妨げる。

この状態では力を発揮しきれることはない。

 

「見張る」ことは、結局、相手の力を発揮することを妨げてしまう。

 

もし、何の変化も起きないとしたら、、、

 

問題は相手にあったのではなく、自分にある。

 

信じて、任せて、委ねる。

 

そんなことが自然に出来る自分を目指そう

 

改めてそんなことを考えています。

 

今日もここまでお読みいただきありがとうございます。

 

では、また。