「習慣化」でうまくいく〜二つの「トトノエル」の実践

何事でもうまくいくための「習慣」を身につけるために、私が日々実践していることを中心にお伝えします。

問題はどちらにある?

【問題はどちらにある?】

 

私の子供達は皆小学生の頃からスポーツをしています。

かれこれ20年近くは子供達がスポーツする姿を見続けています。

 

選手たちは誰もがみんな一生懸命プレーしています。

 

そんな選手たちですが、違いを感じる時があります。

 

能力やセンスのことではありません。

 

本当に集中して一生懸命やっている選手がほとんどです。

 

その同じ一生懸命でも、

その一生懸命さを誰かに見てもらいたい、

というように感じられる選手もいます。

 

本当に一生懸命やっている選手は、

周囲のことなど気にせずプレーしています。

 

誰かに見てもらいたい選手は、

ベンチの指導者や応援席の保護者の方を

気にしているのがわかります。

 

どちらの選手も「結果」を求めることは一緒です。

 

集中して一生懸命やっている選手は、

当然のことながらプレーしている最中は

プレーに集中しています。

 

一つ一つのプレーに気を抜くことなく、

すぐに次のプレーへと切り替えていきます。

ミスをしても最終的にはきちんとリカバーしていたりします。

 

それと比べると

一生懸命な姿を見せたい選手は、

一つ一つのプレーの結果を気にしています。

 

だから、すぐに気が抜けます。

いいプレーをしても気を抜いて、その後相手にやられます。

 

ミスすると、それを気にして、次の対応が遅れます。

そして、結局、結果に結びつきません。

 

この違いは何がもたらすのでしょうか?

 

個人の性格的なものもあるでしょう。

 

しかし、個人の性格は環境の影響を大きく受けています。

この場合の環境とは、

普段どんな人々と接しているかということです。

 

指導者や保護者などの「上の立場」の方からの影響は大きいです。

 

さて、そんなことを考えながら見ていると、

 

一生懸命の姿を見せたい選手のチームの、

指導者は一つ一つのプレーの結果に細かく口を出していることが多いです。

 

ミスを責めるような言動が多く感じます。

 

また、そうしたチームの保護者は、

一つ一つのプレーの結果に一喜一憂しています。

特に、ミスが出た時に

選手以上に落ち込んだり、イライラして怒鳴り出したり、、、

 

私が見ているだけの限られた時間だけで

全てを判断できる訳ではありません。

 

しかし、そんな時に無意識に出ている態度や言動は

おそらく普段もやっているはずです。

 

常に「結果の良し悪し」を判断し、

 

「全てがちゃんとしていなければいけない」

 

というプレッシャーを与えているように思えます。

 

良かれと思ってそのような姿勢で接しているのでしょうが、

その結果起きていることはどうでしょうか。

 

目の前の「やるべきことに集中する」のではなく、

「結果が出るかどうか」「評価されるかどうか」に意識が向いています。

 

結局、最高の力を発揮できる状態ではなくなっています。

 

力を引き出し、最高の活動になるようにしてはいません。

 

うまくいかない選手がいるということは、

自分たちの普段の指導や立ち居振る舞いにこそ

問題があるのかも知れません。

 

選手や子供を責める前に、

自分を振り返り、

自分を変えていく必要があるはずです。

 

さて、これは子供たちのスポーツの世界のことだけではない気がします。

 

組織の中でも同じようなことが起きていないでしょうか。

 

本当に大事なことに皆が集中しているのではなく、

何か別のことに意識が向いてしまっている、、、

 

その結果、思うように結果が出ない。

 

そうした状況を生み出しているのは誰でしょうか。

 

変えるべきは「相手」なのでしょうか?

それとも「自分自身」なのでしょうか?

 

「人」と「組織」の活性化を果たすためには、どちらを選択するのか?

自分の仕事を振り返り、そんなことを考えていました。

 

今日もここまでお読みいただきありがとうございます。

  

では、また。