「習慣化」でうまくいく〜二つの「トトノエル」の実践

何事でもうまくいくための「習慣」を身につけるために、私が日々実践していることを中心にお伝えします。

「自己正当化」から抜け出す

自分が正しいと思いこんでしまう「自己正当化」の状態。

この状態になってしまうと、どんなに冷静に客観的に考えているつもりでも

「自分は正しい」「自分は間違っていない」としか思えなくなってしまいます。

 

だから、相手を非難し、相手を責めるような気持ちで

相手に対応します。

 

だって、自分は正しいのですから、相手は間違っているに決まっています。

 

そして、自分の正しさを補強するために、周囲の人を仲間に引き込みます。

 

「こんなことって、絶対、あいつがおかしいよね」

「普通、そんなことありえないよね」

 

相手を非難するような言葉を使い、自分が正しいことを暗に主張します。

 

こうして相手を追い込んだり、仲間外れにするようなことをしてしまいます。

 

昨日の午前中、まさにそんな状態に私はなっていました。

 

相手の言動を非難して、それに賛同してもらえて、いい気分になっていました。

 

でも、話しているうちに、何かが引っかかります。

相手の度量の狭さを責めていますが、何かが引っかかります。

相手の気の利かなさを責めていますが、何かスッキリしません。

相手の考え方がおかしいと責めていますが、何かがモヤモヤします。

 

一体なんなのだ?

 

自分は、相手からひどいことをされた!と言って、相手を非難して責めています。

 

でも、そうやっていることは、冷静に捉えてみたら、

 

「相手が私に対してしたこと」と同じことを「私が相手にしている」のです。

 

自分が非難して責めている「相手の言動」と同じような言動を「自分がしている」のです。

 

「相手からされて嫌だったこと」を「自分が相手にしている」のです。

 

そんなことをされたから自分はこんな嫌な気分になった、と自分は主張していますが、

 

では、同じことを相手に私がしているとしたら、相手はどう感じるのでしょうか?

 

相手も嫌な気持ちになるはずだし、私と同じようにそのことを非難したり責めたりするのもありえます。

 

どちらが先でどちらが後だとか、もう関係ありません。

 

私は相手と同じことをしているのです。

 

自分が謝って欲しいと思ったことを、相手にしているのです。

 

そのことに気づかないんでいたのです。

 

また「自己正当化の罠」にハマっていました。

 

さて、そのことに気づいたので、どうしたらいいかも思い出しました。

 

どうすればいいかはわかっています。

 

でも、これをやるのにはすごく抵抗を感じます。

 

一体、何をしたらいいのかというと、、、、、

 

「相手に謝まる」

 

のです。

 

今の今ままで「自分は正しい」としか思っていなかったのですが、

実は、そうではないかもしれない、、、と気づいてしまったのです。

 

自分も間違っているかもしれません。

自分も相手にひどいことをしているかもしれません。

自分も相手に嫌な気持ちになるようなことをしていたかもしれません。

 

だとしたら、「謝まる」のが道理です。

 

でも、これが簡単にできないです。

頭で考えだすと、また、謝らないでもいい理由(言い訳)を考え出します。

 

時間が経てば経つほど、行動(謝る)できなくなります。

 

そのこともわかっていますから、一気に動きました。

 

話の途中ではありましたが、そんなことに気がついたことを目の前の人には伝え

すぐにLINEで謝りました。

 

自分の感情を相手にぶつけて、嫌な気持ちにさせたであろうことを謝りました。

 

LINEの文を打っている時は、まだ少し抵抗感がありました。

出来上がった文章を見ていると

 

でも本当に謝る必要があるか??

 

自己正当化に飲み込まれそうになります。

考えだすと、またハマってしまうので、、、

 

「送信!」

 

あれこれ考えず、送りました。

 

本当にこれでよかっただろうか?

相手は調子に乗るんじゃないか?

不都合なことが起きやしないか?

 

頭で考えだすと、いろいろ出てきます。

 

でも、自分の素直な感情にフォーカスすると、

 

「スッキリ」

 

しています。

 

自分の「心」が解放されたような気分です。

 

「心」の乱れは、何ものかに「心」がとらわれ、揺らぐことで起きてきます。

 

そのとらわれや揺らぎから解放されることで「心」は整います。

 

「謝る」ということは、相手に対してしている行為ではありますが、

「謝る」ことにより、自分の心をとらわれや揺らぎから解放します。

 

「謝る」のは相手のためというより、自分の「心」のためなのです。

 

さて、こうして私が謝った後に結局どうなったか、、、明日はそれを書こうと思います。

 

今日もここまでお読みいただきありがとうございます。

 

では、また。