「習慣化」でうまくいく〜二つの「トトノエル」の実践

何事でもうまくいくための「習慣」を身につけるために、私が日々実践していることを中心にお伝えします。

失敗する権利

【失敗する権利】

 

失敗とは、、、

 

してはいけないもの

あってはならないもの

起こしてはいけないもの

 

なのでしょうか?

 

成功は「良いもの」

失敗は「悪いもの」

としか捉えていないと、そうかもしれません。

 

私は成功も失敗もただの結果でしかない、

と考えたいなと思っています。

 

勿論、

成功したら嬉しいですし、

失敗したら落ち込んだり悔しかったりします。

 

ただ、常に「成功」だけが意味があり、

「失敗」には意味がない

というようには捉えたくないです。

 

結果としての「成功」も「失敗」も

一瞬でもう過去のことになってしまいます。

 

成功したことに浮かれていれば、

次は失敗する可能性が高くなります。

 

失敗した事を糧にして次に繋げれば、

次は上手くいくかもしれません。

 

「成功」とか「失敗」ということに

必要以上に重い意味づけをしない方がいいのではないでしょうか。

 

どちらもただの「結果」で、

大事な事はその結果をどう次に繋げていくかということ。

 

だから、あまり結果の良し悪しに囚われないようにしたい、と考えています。

 

何しろ、自分で失敗したことをしっかり捉えれば、

次は自然と失敗しないようにしていきます。

 

失敗こそ成長のチャンスです。

 

失敗しないことは、いつまでも同じ事をしているだけかもしれません。

 

そう考えると、失敗は全然悪いものではないはずです。

 

失敗があるからこそ、成長がもたらされている。

 

失敗をしないということは、成長の機会を逃しています。

 

ということは、、、

 

失敗をさせないように、先回りして色々してしまうことは、

 

相手の成長の機会を奪う事になってしまいます。

 

失敗を必要以上に怖れるのをやめませんか。

 

自分も周囲も失敗はダメなことじゃない。

 

淡々と受け入れて、次に向かっていく。

 

そんな風にした方が、いい感じに思えます。

 

だから、失敗に対して罰を与えるような考え方は必要ないと思うんです。

 

よく、失敗したら罰を与える、、ということがありますね。

 

スポーツなど見ていると、

ミスしたら腕立て◯回とかダッシュ◯往復、なんて感じです。

 

ゲーム感覚的なものは別にいいと思うのですが、

本当に罰を与えるということであればその効果はあるのでしょうか。

 

試合でミスしたら交代するなんていうのは、

どちらかというと罰を与えているような感じがします。

 

ミスや失敗をした事自体が、

本人にとっては十分罰になっています。

 

大事なことは、

そうした失敗やミスを犯さないように

自分で考えて行動を変えていくことです。

 

罰を与えて反省を促すという考え方は、

短絡的すぎる気がします。

 

罰を受けたくないから、

失敗をしたくなくなります。

 

失敗をしたくないから、

リスクのある行動は避けるようになってきます。

 

結局、無難な行動だけしかしなくなり、

力はそこそこしか発揮されず限界も伸びていきません。

 

本人が考え工夫し自分の力で解決していく

という機会を奪ってしまいます。

 

失敗は成長のチャンスです。

 

人は必ず成長への意欲を持っています。

 

そういう人にとって失敗する事は成長の機会を得る大事な権利です。

 

人から「失敗する権利」を奪ってはいけないと思います。

 

失敗を過度に罰することもそうですし、

失敗しないように手を出しすぎるのも

同じように「失敗する権利」を奪ってしまいます。

 

相手の成長を望むのであれば、

 

「失敗する権利」

 

を認めて守ってあげてほしい、と思います。

 

失敗をしないようになるより、

失敗を怖れないような人でありたいと思います。

 

今日もここまでお読みいただきありがとうございます。

  

では、また。