「習慣化」でうまくいく〜二つの「トトノエル」の実践

何事でもうまくいくための「習慣」を身につけるために、私が日々実践していることを中心にお伝えします。

毎朝の思考習慣:今日のご機嫌宣言!「イメージしよう!」

【今日のご機嫌宣言!】(2018.6.21

 

自分の機嫌は自分でとる!!

今日は「イメージしよう!」。

 

「イメージしよう!」と考える。

 

言葉(文字)だけで考えない。

 

映像を思い浮かべよう。

 

「笑顔」という言葉ではなく、

「笑っている顔」を頭に浮かべよう。

 

「楽しい」という言葉ではなく、

「楽しそうな顔」を頭に浮かべよう。

 

文字より映像の方が楽しくなってくる。

 

頭の中を自分の好きな「イメージ」で満たしてみよう。

 

言葉だけで考えているより、

イメージをしたほうが楽しくなってくる。

 

今日はどんなイメージで頭を満たそうか、、、

 

そんなこと考えているだけで楽しくなってくる。

 

今日もごきげんな一日を!!

「信じる」という前に、、、

「あなたのことを信じてますから、、、」

「君たちを信じている、、、」

 

他人に対して「信じる」という言葉を使うことがあります。

 

ふとある人のことを思い出しました。

詳しくは書きませんが、

 

その人は、

 

「あなたたちのことを信じているから、、、」

 

と言ってくれました。

 

ただ、何かその言葉を素直に受け取れない自分がいます。

 

今までも同じようなことをその人から言われているのですが、

いつも素直に受け取れません。

 

そんな勝手に信じるとか言われてもなあ、、、

 

正直、そんな風に思っていました。

 

そして結果が出せない時に、

その人はすごくがっかりした態度や言動を見せてしまいます。

 

それを見た自分は、何だかあまりいい気はしません。

 

次は頑張ろうという気持ちにもなりませんでした。

 

私が未熟で幼かったからかもしれません。

 

しかし、自分のことを棚に上げて考えてみると

 

「信じる」という言葉は、実は、本当に「信じる」ではない気もします。

 

一体、その人は何を「信じていた」のでしょうか?

 

いい結果が出ることを「信じていた」のだと思います。

 

これは「信じる」という言葉を使っていますが、

本当は「期待する」ではないでしょうか?

 

いい結果が出ることを「期待している」ということを

「信じている」と言っているだけに思えます。

 

そうして振り返ってみると、

自分も「信じる」という言葉を

自分の思っているようになると「期待する」

という場合に使っている気がします。

 

明らかに「信じる」と「期待する」は違います。

 

でも、無意識のうちに「強く期待している」ときに

「信じる」という言葉を使っているかもしれません。

 

なぜ、こうなるのでしょうか?

 

もしかしたら、自分の「不安」を消そうとして「信じる」という言葉にしているかもしれません。

 

本当に相手を信じているなら、そもそも「信じる」なんて言葉を使わないかもしれません。

いちいち「信じている」なんて口に出さないし、そんな意識していません。

 

もしかしたら「信じていない」からこそ「信じる」と言っているかもしれません。

 

そんなことを考えていたら、

安易に「信じる」という言葉が使いにくくなってしまいました(笑)

 

「信じる」前に、ちゃんと相手を「認めている」だろうか。

相手の存在を無条件に「受け入れている」だろうか。

それなしに、自分の期待を投影して「信じる」と言っていないだろうか。

 

雨を見ながらそんなことを考えていた今日でした。

 

今日もここまでお読みいただきありがとうございます。

 

では、また。

 

毎朝の思考習慣:今日のご機嫌宣言!「見守ろう」

【今日のご機嫌宣言!】(2018.6.20

 

自分の機嫌は自分でとる!!

今日は「見守ろう」。

 

「見守ろう」と考える。

 

疑いをもって見張るよりも

信じて見守るほうが気分がいい。

 

「見張られる」のと「見守られる」のと、

自分だったらどちらがいい。

 

やっぱり自分は「見守られる」ほうが気分がいい。

 

だから相手も見守ろう。

 

一人で何でもやれるわけではない。

 

お互い頼り頼られ、それでいい。

 

人を信じて任せよう。

 

相手を信じて見守ろう。

 

さあ、今日も誰かと関わろう!

 

今日もごきげんな一日を!!

 

「謝る」ことで自分が整う、自分が整うと、、、

昨日からの続きです。

 

自分が正しいと思い込み、自分を被害者のように勘違いし、

相手を非難し、責めることをしていた自分に気がついた私は相手の方に謝ることにしました。

 

気がついた時点ですぐに謝りのメッセージをLINEに入れました。

 

相手はわざわざこちらのいる所まで来る、と言っていましたが、

もう、私の中ではスッキリしたので、特にこなくてもいいと伝えました。

 

でも、相手は来ると言います。

 

どちらでも構いません。

何しろ、自分はもうそのことから解放されてとらわれを捨てましたので、、、

 

ただ、私と一緒にいる方はその相手と揉めて、いまも関係がこじれたままです。

 

知らずに来ても相手も気まずいだろうし、

そのことも伝えて無理にこなくてもいいとも伝えましたが、

やっぱり来ると言って来ますので、

こちらの方にも了解をもらった上でくるのを待つことにしました。

 

そして、その揉めていた相手の方がやって来ました。

 

さあ、相手の方はどうなっていたと思いますか?

 

今までと違って、こちらに自分の非を認めて謝ったと思いますか?

 

答えは、No!です(笑)

 

今までのその人らしい、長々と言い訳を始めました。

いつもなら、それを聞いていると腹が立つのですが、

今回はなんとも思いません。

 

よくよく考えてみると、今までは最初から腹立たしく思っていて

相手の言うことなんて一つも聞いていなかったように思います。

(聞いてはいるけど、耳には入ってない状態でした)

 

今回は、自然と受け止めて、相手が色々まだ言いたそうでしたが、

 

改めて、こちらから謝りました。

 

「色々ごめんなさい」

「心無い言葉を投げかけてしまい、嫌な思いをさせてしまってすみません」

「今日も来ずらかっただろうに、こんな風に会いに来てくれてありがとうございます」

 

そんなことを相手に伝えました。

 

相手は、自分は悪気があって何かをしたり言った訳ではない

といつもと同じようなことを相変わらず言っているのですが、

不思議と、それが今までとは違って聞こえます。

 

今までは、後から言い訳しているようにしか聞こえなかったことが、

本当に悪気はなくちょっと考えが至らなかっただけなんだとうな

と思って上げられるのです。

 

まあ、そんなことも今の私には正直どうでもよくて、

もう全てが終わったことでそこにとどまっている必要のないことになっていました。

 

さて、私とはそれでいいのかもしれませんが、もう一人の方とはどうなったでしょうか?

 

私はトイレに行きたくなったのですが、そうすると二人きりになってしまいます。

多分気まずいだろうな、なんて思いながらもこちらも我慢できないので席を外しました。

 

戻って来てみたら、二人で話をしています。

もう絶対口をきかないなんて言っていた人が話をしています。

 

お互い、目に涙を浮かべながら話をしています。

 

内容は触れませんが、お互いに少し相手の気持ちに寄り添ってあげることができたようです。

 

そんな感じで、最後はとても和やかな雰囲気でその場は終わりました。

 

私だけでなく、おそらく他の二人も少しスッキリした感覚になったのではないかと思います。

 

とらわれから解放された感じが広がったように思います。

 

私は「謝る」ことにより、自分のとらわれから離れることができました。

そうして、自分が整った状態で人と接する時、相手を素直に受け入れることができました。

すると、相手も私に乱されることなく、自然と整った状態になって行きました。

整った状態同士でのコミュニケーションが取れると、とても気持ちのいい場が出来上がります。

 

自分が整うことで、それは周囲にも波及し、自分が関わる場が良い空気に包まれます。

そんな空気に包まれていると、さらに自分にいい影響が出て来ます。

どんどん良い影響がループしていきます。

 

こんな経験をすると、自分の機嫌を手放せなくなります。

 

今日もここまでお読みいただきありがとうございます。

 

では、また。

 

毎朝の思考習慣:今日のご機嫌宣言!「始めよう!」

【今日のご機嫌宣言!】(2018.6.19

 

自分の機嫌は自分でとる!!

今日は「始めよう!」。

 

何かをずっと「続けよう」と思うより、

新しく「始めよう!」と思う方がワクワクする。

 

「続ける」ではなく、いつも「始める」。

 

今までと同じ事だとしても、

それは「今」この瞬間は今までと違うもの。

 

だから、新しく「始める」。

 

ワクワクした感じが起こってくる。

 

自分が新しくなっていくような気分。

 

動き出そう!という気になってくる。

 

上手くいかなかったり、

 

思うようにならなかったら

また、始めればいい。

 

それだけのこと。

 

さあ、今日を始めよう!

今日もごきげんな一日を!!

 

「自己正当化」から抜け出す

自分が正しいと思いこんでしまう「自己正当化」の状態。

この状態になってしまうと、どんなに冷静に客観的に考えているつもりでも

「自分は正しい」「自分は間違っていない」としか思えなくなってしまいます。

 

だから、相手を非難し、相手を責めるような気持ちで

相手に対応します。

 

だって、自分は正しいのですから、相手は間違っているに決まっています。

 

そして、自分の正しさを補強するために、周囲の人を仲間に引き込みます。

 

「こんなことって、絶対、あいつがおかしいよね」

「普通、そんなことありえないよね」

 

相手を非難するような言葉を使い、自分が正しいことを暗に主張します。

 

こうして相手を追い込んだり、仲間外れにするようなことをしてしまいます。

 

昨日の午前中、まさにそんな状態に私はなっていました。

 

相手の言動を非難して、それに賛同してもらえて、いい気分になっていました。

 

でも、話しているうちに、何かが引っかかります。

相手の度量の狭さを責めていますが、何かが引っかかります。

相手の気の利かなさを責めていますが、何かスッキリしません。

相手の考え方がおかしいと責めていますが、何かがモヤモヤします。

 

一体なんなのだ?

 

自分は、相手からひどいことをされた!と言って、相手を非難して責めています。

 

でも、そうやっていることは、冷静に捉えてみたら、

 

「相手が私に対してしたこと」と同じことを「私が相手にしている」のです。

 

自分が非難して責めている「相手の言動」と同じような言動を「自分がしている」のです。

 

「相手からされて嫌だったこと」を「自分が相手にしている」のです。

 

そんなことをされたから自分はこんな嫌な気分になった、と自分は主張していますが、

 

では、同じことを相手に私がしているとしたら、相手はどう感じるのでしょうか?

 

相手も嫌な気持ちになるはずだし、私と同じようにそのことを非難したり責めたりするのもありえます。

 

どちらが先でどちらが後だとか、もう関係ありません。

 

私は相手と同じことをしているのです。

 

自分が謝って欲しいと思ったことを、相手にしているのです。

 

そのことに気づかないんでいたのです。

 

また「自己正当化の罠」にハマっていました。

 

さて、そのことに気づいたので、どうしたらいいかも思い出しました。

 

どうすればいいかはわかっています。

 

でも、これをやるのにはすごく抵抗を感じます。

 

一体、何をしたらいいのかというと、、、、、

 

「相手に謝まる」

 

のです。

 

今の今ままで「自分は正しい」としか思っていなかったのですが、

実は、そうではないかもしれない、、、と気づいてしまったのです。

 

自分も間違っているかもしれません。

自分も相手にひどいことをしているかもしれません。

自分も相手に嫌な気持ちになるようなことをしていたかもしれません。

 

だとしたら、「謝まる」のが道理です。

 

でも、これが簡単にできないです。

頭で考えだすと、また、謝らないでもいい理由(言い訳)を考え出します。

 

時間が経てば経つほど、行動(謝る)できなくなります。

 

そのこともわかっていますから、一気に動きました。

 

話の途中ではありましたが、そんなことに気がついたことを目の前の人には伝え

すぐにLINEで謝りました。

 

自分の感情を相手にぶつけて、嫌な気持ちにさせたであろうことを謝りました。

 

LINEの文を打っている時は、まだ少し抵抗感がありました。

出来上がった文章を見ていると

 

でも本当に謝る必要があるか??

 

自己正当化に飲み込まれそうになります。

考えだすと、またハマってしまうので、、、

 

「送信!」

 

あれこれ考えず、送りました。

 

本当にこれでよかっただろうか?

相手は調子に乗るんじゃないか?

不都合なことが起きやしないか?

 

頭で考えだすと、いろいろ出てきます。

 

でも、自分の素直な感情にフォーカスすると、

 

「スッキリ」

 

しています。

 

自分の「心」が解放されたような気分です。

 

「心」の乱れは、何ものかに「心」がとらわれ、揺らぐことで起きてきます。

 

そのとらわれや揺らぎから解放されることで「心」は整います。

 

「謝る」ということは、相手に対してしている行為ではありますが、

「謝る」ことにより、自分の心をとらわれや揺らぎから解放します。

 

「謝る」のは相手のためというより、自分の「心」のためなのです。

 

さて、こうして私が謝った後に結局どうなったか、、、明日はそれを書こうと思います。

 

今日もここまでお読みいただきありがとうございます。

 

では、また。

 

毎朝の思考習慣:今日のご機嫌宣言!「遠くを見る」

【今日のご機嫌宣言!】(2018.6.18

 

自分の機嫌は自分でとる!!

今日は「遠くを見る」。

 

「遠くを見る」と考える。

 

目の前のことにだけとらわれ過ぎていないか。

 

視点や視野が狭くなっていないか。

 

息苦しく感じていないか。

 

肩に力が入り過ぎていないか。

 

そんな感じを感じたら、

ちょと遠くを見てみよう。

 

自然と顔も上がるし、呼吸も楽になる。

 

余計な力も抜けていく。

 

視線を変えてみるだけで、

見える世界が変わってくる。

 

いつでも自分は変えられる。

 

今日もごきげんな一日を!!