「習慣化」でうまくいく〜二つの「トトノエル」の実践

何事でもうまくいくための「習慣」を身につけるために、私が日々実践していることを中心にお伝えします。

毎朝の思考習慣:今日のご機嫌宣言!「夢」

自分の機嫌は自分でとる!!

今日は「夢」。

 

「夢」と考える。

 

「夢」という言葉を思い浮かべる。

 

今あるものは全て、昔誰かの夢だったもの。

 

誰かが夢見たことが現実になっている。

 

本気で夢を叶えよう、と思った誰かが現実を変えてきた。

 

「夢」があるから現実が変わっていく。

 

自分の「夢」が自分や周りを変えていく。

 

本気で「夢」を描いてみよう!

 

本気で「夢」に挑戦しよう!

 

本気で「夢」を叶えよう!

 

考えるだけで、心に変化が訪れる。

 

思考のエネルギーを感じよう。

 

今日もごきげんな一日を!!

 

やっぱり「愛」だろ!!

「フェアプレーの根本には愛情がある」

 

かつてラグビー日本代表早稲田大学で監督を務めた大西鐡之祐氏はその著書の中で

 

「フェアプレーの根本には愛情がある」

 

と書かれているそうです。

 

ちょっと違うかもしれませんが、昨日の日大の緊急会見を見て

結果を出されてきた指導者の方々の話を聞く時に感じるのと

同じような違和感を感じました。

 

私の子供たちも全国を争うようなレベルで競技スポーツをしていました。

 

競技は違いますが、色々な指導者の方とお会いしています。

 

長年にわたって結果を出されている指導者の方は素晴らしいと思います。

 

しかし、時々そんな方々のお話を聴きながら、どうしても感じてしまう違和感があります。

 

その正体はしばらくわかりませんでしたが、今はおそらくこれだろうと思っています。

 

「根本に選手・子供たちに対する「愛情」が本当にあるかどうか」

 

確かに実績もあり、それだけ指導者としての実力も備わった方々なのですが

ここの部分がどうしてもしっくりこないことが多くありました。

 

勝負の世界にそんなものは必要ない

 

もちろん、その考え方もありかもしれません。

 

しかし、本当に私たちが関わっている世界は

「生きるか、死ぬか」みたいな競争をしているのでしょうか。

 

スポーツの世界では、特に学生スポーツでは、勝負の結果だけが重要なのでしょうか?

 

選手(子供たち)の成長こそ、大事なことではないでしょうか?

 

「勝利」という結果でしか「成長」はもたらされないのでしょうか?

 

「負け」から学べることもある、などと言いたいわけでありません。

 

勝ちも負けもただの「結果」です。

私たちの大事な経験は「結果」よりも、

そこまでの「過程(プロセス)」にこそあると思います。

 

「勝てば官軍」ではないと私は考えています。

 

「勝利」という結果だけにとらわれ、

その結果だけを一番大事なものとしてしまうと

その過程を構成する一人一人を大事な存在として尊重することが

失われてしまうように感じられます。

 

だからこそ、根本に「愛情」があるかどうかなんだと思います。

 

「愛情」があれば、必然的に相手に対する「思いやり」

さらには「尊敬(リスペクト)」の念も自然と出てくるはずです。

 

昨日の記者会見を聴いていて

 

監督やコーチの方は選手に対する「思いやり」「尊敬(リスペクト)」の念があるのだろうか、、

 

司会者の方は、記者や集まった方に対して相手の立場を「思いやる気持ち」が少しでもあったのだろうか

 

また、マスコミの方々は取材対象の人たちに対して同じように

「思いやり」や「「尊敬(リスペクト)」の念を抱いて接しているのだろうか

 

そんなことを感じてしまいました。

 

それぞれの人がそれぞれの立場で自分は正しいとおそらく思っています。

それが本当に正しいのか間違っているのかを裁こうとしても、

おそらく平行線でしかないように思います。

 

正義や正しさを振りかざす時、

人は相手に対する「思いやり」や「尊敬(リスペクト)」を

簡単に手放している気がします。

 

仕事がら、1対1でお話を聴くことも多々あります。

相手の間違いや足りない点を指摘しようとしている時、

表面的には相手のためにと思いながら、

結果的には相手を責めて追い詰めるようなことにしかなっていない

なんてことを何度か経験しました。

 

振り返るとそんな時、自分は相手に対する「思いやり」も「尊敬(リスペクト)」も忘れています。

 

そんな時の結果は、決して良いものではありません。

 

根本に「愛情」を持ったところから始めないと最終的にうまくいっていません。

 

そんなことを改めて感じています。

 

やっぱり「愛」だろ!「愛」が基本!

 

今日もお読みいただいてありがとうございます。

 

では、また明日。

 

毎朝の思考習慣:今日のご機嫌宣言!「わかちあおう!」

自分の機嫌は自分でとる!!

今日は「わかちあおう!」。

 

「わかちあおう!」と考える。

 

「独り占め」より「わかちあう」方が気持ちいい。

 

「奪う」より「わかちあう」の方が気持ちいい。

 

「わかちあう」は一人ではできない。

 

自分は一人じゃない。

繋がる誰かがそこにいる。

 

わかちあうものはいつでもある。

 

何も持っていなくても、

気持ちはわかちあえる。

 

どんな気持ちをわかちあいたい。

 

楽しい気持ち

嬉しい気持ち

ワクワクするような気持ち、、、

 

今日も「ごきげん」をわかちあおう。 

 

そのためにも、

 

まずは自分がごきげんになっておこう!

 

今日もごきげんな一日を!!

 

批評眼は持つべし、されど、、、

「批評眼は持つべし、されど批判的態度は慎むべし。

 すべからく他を批判するの眼を自己に返照しきって

 創作実現へと踏み出すべし」

 

私の大好きな「森信三」先生の言葉です。

 

日大アメフト選手の償いとメディアの無慈悲

https://toyokeizai.net/articles/-/221918

 

FBでシェアされていた上の記事を読みました。

その中から一部抜粋します。

 

ここから

各局のスタッフたちは、20歳の学生に「監督やコーチに対する怒りと憎しみを引き出そう」とする誘導的な質問を続けたのです。勇気を振り絞って経緯の詳細を語ったにも関わらず、「まだ足りない」「もっと決定的な言葉を引き出そう」と似た質問を浴びせ続けるのは、配慮に欠けるとともに、番組の都合を優先させているだけではないでしょうか。

このような質問ラッシュは、不祥事を起こした芸能人、ビジネスパーソン、政治家などを追い込みたいときの常とう手段。しかし、今回の相手は、保護者や学校から守られてしかるべき学生であり、すでに言えることはすべて言っていただけに、メディアが寄ってたかって拷問をしているように見えてしまったのです。

そのほかにも、「新監督や部のメンバーに伝えたいことは?」「(今後も)アメフトやったほうがいいんじゃないですか?」などと若者を試すような無神経な質問もありました。そんなメディアの悪意に引きずられず、「今は考えられません」「その立場にありません」と答え続けた宮川選手が立派に見えたほどです。

各局のスタッフたちが、「それが私たちの仕事」「これはジャーナリズム」と思っているとしたら、首をかしげざるを得ません。もし番組のプロデューサー(スポーツの監督に近い立場)やディレクター(コーチに近い立場)からの指示でこのような質問をしたのなら、程度の差こそあれ、「日大アメフト部の図式と似ているのではないか」とすら感じてしまいました。

ここまで

 

この部分を読んだ時に、先に書いた森信三先生の言葉を思い出しました。

 

いや、正直に言いましょう。

 

最初は、ただマスコミ各局スタッフの方達の態度や言動に腹が立ち

「ひどいことをする奴らだ」

「そう、ここに書いているように、日大の指導者やコーチなどと

 全く同じ、本質的に変わらない人たちだな、、、」

なんて思いました。

 

しかし、その後に気がつきました。

 

これって全く自分が「ひどい奴ら」だと思っている人たちと自分も同じなんじゃないか??

 

そのまま気がつかずにマスコミ批判的な言動を安直にしてしまうことこそ

無責任に無自覚に他人を傷つける言動をしていることと一緒ではないだろうか?

 

そこではじめて森信三先生の言葉を思い出したのです。

 

物事の善悪を見分けられるようになるためには「批評眼」は必要です。

 

ただ素直になんでも受け入れるだけでなく

自分なりに少し違う角度で物事を見ることで

より良い判断ができるようになると思います。

 

しかし、これは全て自分の成長のためであり、

他人を評価したり裁いたりするためのものではありません。

 

自分の身の周りに起こる出来事は全て自分にとっての学びであり

自分にとっての成長の材料のようなものなのではないでしょうか。

 

他人の言動の是非を大声で問うようなことをする前に

 

我が身に置き換えてみたら、自分はこれから何を学ぶべきのなのか?

 

を自分に問いかけ続けることこそが

大事なことではないかと考えています。

 

少なくとも、自分の「成長」と他者への「貢献」を大事な価値観としよう

としている自分にとっては、そう思えます。

 

今日もお読みいただいてありがとうございます。

 

では、また明日。

 

毎朝の思考習慣:今日のご機嫌宣言!「緩めよう」

自分の機嫌は自分でとる!!

今日は「緩めよう」。

 

「緩めよう」と考える。

 

力が入りすぎて、固まっていないか。

 

自分の身体と対話してみる。

 

知らず知らず偏りが出ていたりする。

 

力を抜くというより、身体を緩める。

 

そんなに頑なに張っていなくていい。

 

少し緩めてみよう。

 

楽に動ける身体を意識しよう。

 

ゆっくり呼吸を感じてみよう。

 

ふーと息を吐き出してみる。

 

楽な気持ちになってくる。

 

いつも頑張っている自分を労ろう。

 

今日もごきげんな一日を!!

 

中身も大事だけど

研修などでは受講者がグループで話し合うことが良くあります。

 

与えられたテーマについて

グループの中で意見を出し合い、

グループとしての意見をまとめて、模造紙に書いて

皆の前で発表する

 

そして、発表された内容について、

相互に意見しあったり

講師から講評をしたりする

 

こんなパターンが一般的かもしれません。

 

私も、自分が担当する研修などでは可能な限り

受講者の皆さん同士で話し合っていただく時間を設けます。

 

しかし、発表してもらうようなことはほとんどしません。

また、講師(私)から話し合った内容について、

良いとか悪いとかの判断をすることはほとんどありません。

 

発表をしてもらわないのは、発表をしないでも

自然と全体で話し合っている内容が共有できる

「ワールド・カフェ」的なやり方をしているからです。

 

では、話し合っている内容について講師からコメントしないのは???

 

それは、その方が講師が楽だからです笑笑

 

あ、冗談です。

真に受けないでくださいね。

 

私が注意しているのは「話し合っている中身=コンテンツ」ではないんです。

 

もちろん、話し合っている中身も重要であることは間違いありません。

どんな話をしているかが気にならないわけでもないです。

しかし、その「中身」と同等、いや私はそれ以上に重要だと思っているのが

 

「話し合っている皆さんの状態」

 

なのです。

 

きちんと意見を言えているか?

きちんとお互いの話を聴いているか?

ちゃんと参加しているか?

 

こうしたことを注意しています。

 

「正しい話をすること」も大事かもしれませんが

「正しい状態で皆が話ができている」ことはより重要だと思っています。

 

どんな研修だとしても、私の大事なテーマは「活性化」です。

 

「人と組織の活性化」が私の目指しているものです。

そのためには、

活動している時のメンバー一人一人が活性化していることが重要ですし

皆が参加して作り上げている「場」が活性化していることが大事です。

 

これは「中身が正しい」かどうかとは少し別の視点が必要です。

 

グループでただ正解を出すだけなら、

一部の優秀な人が出した答えにただ従っているだけでも

そんなに問題は起こりません。

 

もちろんそれもありかもしれません。

限られた超優秀な人々とそれにつき従うだけのメンバー。

 

しかし、少なくとも私が目指している理想の組織とは違います。

 

皆が自分の力をあますところなく発揮することができ

常に人も組織も進化成長していける

 

私が関わる少しでも多くの組織がそんな組織になっていけたらいいな、と思っています。

 

だからこそ、話し合った中身の良し悪しだけにこだわるのではなく

話し合っている時の状態、まさに「プロセス」に注目しています。

 

また、それを講師(私)が何か講評するというより、

 

自分たちで振り返る

 

ことをしていただいています。

 

結果の良し悪しを反省するより

過程(プロセス)を自分たちで振り返る

 

そのことで自分たちのプロセスを改善していくことができます。

 

結果をより良くしようと思うなら、

過程をより良くしていくしかありません。

 

過程の質を上げることこそが

活動の質=パフォーマンスを向上させることに繋がります。

 

パフォーマンスを向上させ続けるからこそ

結果を上げ続けられるようになるはずです。

 

活動の中身や結果だけでなく、

その時の状態を意識して改善すること

 

これも私が学び、実践していることの一つです。

 

今日もお読みいただいてありがとうございます。

 

では、また明日。

 

毎朝の思考習慣:今日のご機嫌宣言!「楽しいに違いない!」

自分の機嫌は自分でとる!!

今日は「楽しいに違いない!」。

  

「楽しいに違いない!」と考える。

 

今日という日はは「楽しいに違いない」。

 

今日起きることは「楽しいに違いない」。

 

今日出会う人は「楽しい人に違いない」。

 

今日という日は「楽しい日に違いない」。

 

理由も何もないけど、そんな風にまず考えてみる。

 

ただの希望的観測だろうか?

 

いや、そう思い込むだけ。   

 

最初に決めているだけ。

 

決めたことが起きてくる。 

 

世間や他人に決めてもらう必要はない 。

 

「楽しいに違いない!」

 

自分で決めるだけ。

 

今日もごきげんな一日を!!