「習慣化」でうまくいく〜二つの「トトノエル」の実践

何事でもうまくいくための「習慣」を身につけるために、私が日々実践していることを中心にお伝えします。

やっぱり「愛」だろ!!

「フェアプレーの根本には愛情がある」

 

かつてラグビー日本代表早稲田大学で監督を務めた大西鐡之祐氏はその著書の中で

 

「フェアプレーの根本には愛情がある」

 

と書かれているそうです。

 

ちょっと違うかもしれませんが、昨日の日大の緊急会見を見て

結果を出されてきた指導者の方々の話を聞く時に感じるのと

同じような違和感を感じました。

 

私の子供たちも全国を争うようなレベルで競技スポーツをしていました。

 

競技は違いますが、色々な指導者の方とお会いしています。

 

長年にわたって結果を出されている指導者の方は素晴らしいと思います。

 

しかし、時々そんな方々のお話を聴きながら、どうしても感じてしまう違和感があります。

 

その正体はしばらくわかりませんでしたが、今はおそらくこれだろうと思っています。

 

「根本に選手・子供たちに対する「愛情」が本当にあるかどうか」

 

確かに実績もあり、それだけ指導者としての実力も備わった方々なのですが

ここの部分がどうしてもしっくりこないことが多くありました。

 

勝負の世界にそんなものは必要ない

 

もちろん、その考え方もありかもしれません。

 

しかし、本当に私たちが関わっている世界は

「生きるか、死ぬか」みたいな競争をしているのでしょうか。

 

スポーツの世界では、特に学生スポーツでは、勝負の結果だけが重要なのでしょうか?

 

選手(子供たち)の成長こそ、大事なことではないでしょうか?

 

「勝利」という結果でしか「成長」はもたらされないのでしょうか?

 

「負け」から学べることもある、などと言いたいわけでありません。

 

勝ちも負けもただの「結果」です。

私たちの大事な経験は「結果」よりも、

そこまでの「過程(プロセス)」にこそあると思います。

 

「勝てば官軍」ではないと私は考えています。

 

「勝利」という結果だけにとらわれ、

その結果だけを一番大事なものとしてしまうと

その過程を構成する一人一人を大事な存在として尊重することが

失われてしまうように感じられます。

 

だからこそ、根本に「愛情」があるかどうかなんだと思います。

 

「愛情」があれば、必然的に相手に対する「思いやり」

さらには「尊敬(リスペクト)」の念も自然と出てくるはずです。

 

昨日の記者会見を聴いていて

 

監督やコーチの方は選手に対する「思いやり」「尊敬(リスペクト)」の念があるのだろうか、、

 

司会者の方は、記者や集まった方に対して相手の立場を「思いやる気持ち」が少しでもあったのだろうか

 

また、マスコミの方々は取材対象の人たちに対して同じように

「思いやり」や「「尊敬(リスペクト)」の念を抱いて接しているのだろうか

 

そんなことを感じてしまいました。

 

それぞれの人がそれぞれの立場で自分は正しいとおそらく思っています。

それが本当に正しいのか間違っているのかを裁こうとしても、

おそらく平行線でしかないように思います。

 

正義や正しさを振りかざす時、

人は相手に対する「思いやり」や「尊敬(リスペクト)」を

簡単に手放している気がします。

 

仕事がら、1対1でお話を聴くことも多々あります。

相手の間違いや足りない点を指摘しようとしている時、

表面的には相手のためにと思いながら、

結果的には相手を責めて追い詰めるようなことにしかなっていない

なんてことを何度か経験しました。

 

振り返るとそんな時、自分は相手に対する「思いやり」も「尊敬(リスペクト)」も忘れています。

 

そんな時の結果は、決して良いものではありません。

 

根本に「愛情」を持ったところから始めないと最終的にうまくいっていません。

 

そんなことを改めて感じています。

 

やっぱり「愛」だろ!「愛」が基本!

 

今日もお読みいただいてありがとうございます。

 

では、また明日。