「習慣化」でうまくいく〜二つの「トトノエル」の実践

何事でもうまくいくための「習慣」を身につけるために、私が日々実践していることを中心にお伝えします。

毎朝の思考習慣:今日のご機嫌宣言!「チャレンジする!」

【今日のご機嫌宣言!】(2018.8.8

 

自分の機嫌は自分でとる!!

今日は「チャレンジする」。

 

「チャレンジする」と考える。

 

一歩を踏み出すのをためらっているような、

もやもやした気分を感じる。

 

笑顔で深呼吸。

身体が気持ちよく感じることをする。

 

「チャレンジ」という言葉を思い浮かべてみる。

 

「チャレンジ」という言葉のパワーを感じる。

 

チャレンジする、チャレンジする、チャレンジする、、、

 

口に出して言ってみる。

 

出来ないのではない、やっていないだけ。

 

さあ、やろう!

 

今日もごきげんな一日を!!

 

 

基準を上げすぎていないか?

私は研修などの最初にアイスブレイクを取り入れています。

 

アイスブレイクとは緊張をほぐしたり、堅い空気を和らげたりする行為のことです。

 

初めての方同士で、最初は雑談などをする様な事もアイスブレイクですね。

 

研修などの場で、私は受講者の方同士でお話をしてもらうことが多いです。

 

よく使うテーマが

 

「最近、嬉しかった(楽しかった)こと」

 

を簡単にお互いに紹介してもらったりします。

 

これをお伝えすると、必ずと言っていいぐらい困った様な顔をされる方がいます。

 

傾向的には少し年齢層が上の男性が多い様に感じます。

 

「最近、嬉しいことや楽しいことなんて特にないなあ、、、」

 

と言って、困っています。

 

で、ずいぶんと前にあった何か特別な出来事を一生懸命思い出して話したりしています。

 

でも、本当に「嬉しいこと」や「楽しいこと」がないのでしょうか。

 

まあ、本人がそう思っているのだから、そうだとも言えます。

 

しかし、こういう捉え方もできます。

 

「嬉しいこと」や「楽しいこと」を感じるセンサーが鈍くなっている

 

センサーの感度が悪いので、ちょっとしたことでは

「嬉しい」とか「楽しい」とかを感じられなくなっているのではないでしょうか。

 

例えば、今日の朝も普通に目が覚めた。

 

これ、私はとても嬉しいです。

 

でも、かつての私は「そんなこと当たり前」と思って

その程度のことに「嬉しさ」なんて感じられませんでした。

 

色々なことを経験してくるうちに、普通の出来事に対しては

 

「当たり前」

 

という感じかたをして、そのことを流してしまいます。

 

目が覚めて今日も1日活動できることって、

実に嬉しいことだと思いませんか?

 

でも、そう感じられなくなっているとしたら、、、

 

センサーが鈍くなっている

 

とも言えますし、

 

基準値をあげすぎている

 

とも言えます。

 

「嬉しい」とか「楽しい」とか「幸せ」とかは

 

何かいつもと違う特別なこと

 

でないと感じられなくなっているだけではないですか。

 

それこそ、

 

たまたま拾った宝くじが一等前後賞まで当たって

あっという間に億万長者になってしまった

 

なんて、ことでもないと「嬉しい」と感じられなくなっていませんか。

 

そうだとしたら、基準を上げすぎです。

 

「嬉しい」とか「楽しい」とか「幸せ」とか感じられる時、

自分の心は乱れることが少ないです。

 

自分の心を乱さないためにも、

日常的にいい心の状態を自分で作り出しておくのが効果的です。

 

何を嬉しいと感じるかは、それぞれの基準によります。

 

基準を下げておけば、毎日どんなことでも嬉しさや楽しさは見出せます。

 

どの様な基準で考えるかは、意識すれば自分で決められます。

 

自分の心の状態をどの様に保つかは、自分で決められるのです。

 

基準を上げすぎて心が乱れやすくなるよりも、

基準を思いっきり下げて心が整いやすい状態にしておく。

 

これも、自分を整える・調えるための一つのスキルです。

 

今日もここまでお読みいただきありがとうございます。

 

では、また。

 

毎朝の思考習慣:今日のご機嫌宣言!「感じたら動く」

【今日のご機嫌宣言!】(2018.8.7

  

自分の機嫌は自分でとる!!

今日は「感じたら動く」。

 

「感じたら動く」と考える。

 

感じて動くから「感動」。

 

感じたことを素直に行動に移してみる。

 

「直感」は間違っていない。

 

間違えるのはいつも「判断」。

 

自分の感覚を信じてみよう。

 

素直に感覚に従おう。

 

考えてから動く、、、それも大事。

 

でも、「考えている」つもりで「悩んで」いないか。

 

「悩む」のはいつでも出来る。

 

今は、動いてみよう。

 

今日もごきげんな一日を!!

 

何考えてるのかわからない!!

あいつが何考えているか、全くわからない!

あの人が何考えているか、全然わかりません!

 

上司と部下でこんな発言が出てくることがあります。

 

上司と部下でなくても、日常の生活でもあるでしょう。

 

相手が何考えているかわからない!

 

そんな風にしか思えず、イライラしたり、

場合によっては落ち込んだり、、、とにかく心が乱れます。

 

どの様なことであれ、「心が乱れる」と必ず起こることは、、、

 

自分の活動の質が落ちる

 

ということです。

 

どんな活動であれ、心が乱れている限り、その質は落ちます。

 

そう、パフォーマンスが落ちるのです。

 

パフォーマンスが落ちるから、活動のアウトプットも当然落ちてきます。

 

つまり、結果が出ない。

 

そして、余計に、イライラしたり、落ち込んだり、、、

 

なぜ、こんなことになってしまったのか?

 

それは、、、あいつの所為だ、あの人の所為だ!!

 

そして、さらにイライラして、心は更に乱れていく、、、

 

かつての私はこんな悪循環によくハマっていました。

 

でも、本当に「あいつ」の所為なのでしょうか?

 

自分の「心」は自分で整えることができます。

 

何かがきっかけで乱れたとしても、

乱れた自分に気づけば自分で調えることができます。

 

しかも、そもそもこんな場合「あいつ」の所為で心が乱れているのでしょうか?

 

「何考えているかわからない」は多くの場合、こんなケースだったりします。

 

「こちらの言うことを全く聞いてくれない(理解してくれない)なんて

 あいつは何考えているのかわからない!!」

 

冷静に考えてみると、これって変ではないですか?

 

え、何が変なの??ってもし思ったとしたら、

気をつけた方がいいです。

 

気がつかないうちに、落とし穴にはまっているかもしれません。

 

さて、上の様に思っている私は

 

「相手のことをわかろう」

 

としているでしょうか?

 

もうお気づきですよね。

 

全く「相手のことをわかろう」なんて思っていません。

私は「自分のことをわからせよう」としか思っていません。

 

そして、相手がわかってくれないことに苛立ち、

「何考えているかわからない」と言っているにすぎません。

 

私は「わからせよう」と言う姿勢で相手に接しています。

その結果が、自分の心が乱れ、結果が出ない状況を招いています。

 

もし、私が本当に相手のことを「わかってあげよう」と言う姿勢で接していたとしたら、、、

おそらく、違う結果になってきます。

 

結局、結果が出なかったのは誰の所為でしょうか?

相手?それとも、自分自身?

 

今日もここまでお読みいただきありがとうございます。

 

では、また。

 

毎朝の思考習慣:今日のご機嫌宣言!「喜んであげよう」

【今日のご機嫌宣言!】(2017.8.6

 

自分の機嫌は自分でとる!!

今日は「喜んであげよう」。

 

「喜んであげよう」と考える。

 

誰かのことを喜んであげる。

 

誰かの喜びをわかってあげる。

 

誰かの成長をよろこんであげる。

 

自分のことだけでなく

周囲の人のことを

大事に思ってあげる。

 

誰かの変化に気づき

成長として認めてあげる。

 

他人のことなのに

自分の気分も良くなってくる。

 

他人の感情をわかってあげる。

喜びは分かち合える。

 

今日は周囲の喜びを感じよう。

 

周りには喜びが満ちている。

 

素敵な1日が始まった!

  

今日もごきげんな一日を!!

 

チーム(組織)にとって必要なもの

【チーム(組織)にとって必要なもの】

 

最近改めて思うことがあります。

 

チームで結果を残す、組織が成果をあげ続けるためには

必要なものがある。

 

もちろん、能力や資質みたいなものも大事だとは思う。

 

しかし、一定の能力値があれば、

それ以上に大事にしないといけないものがある。

 

3つある。

 

一つ目は、個人としての自立・自律。

 

これは能力があるとかとはちょっと違う。

 

自分の責任でやり切ろうとする意思を持ち続けているかどうか、とも言える。

 

一人で全てができるわけではない。

だから頼っていいと思う。

 

しかし、それは自分でできることは自分でやり切る上での話だ。

 

自分のことはおざなりにして、周囲に対して依存する様な個人が集まっても何もできない。

 

自分で決めて、自分でやる。

これが基本だと思う。

 

二つ目は、関係性。

 

良好な関係性はあらゆる戦略に勝る、なんて言葉もあるらしい。

 

何かをしようとする時に、

 

協力し、助け合える関係なのか

知らん振りをして周囲に何があろうと我関せずなのか

いがみ合い、罵り合い、足を引っ張り合う関係なのか

 

自ずと結果には差が出てくる。

 

これは、単に仲が良いということではない。

 

目指すものに対して、お互いが補完し合える関係だ。

 

仲なんて悪くてもいいと思う。

 

しかし、お互いを認め合い、必要なら協力しあえればいい。

 

このことを考えると、

いつもスラムダンクの最後に流川が花道にパスしたシーンが思い浮かぶ。

(知らない方はすみません)

 

三つ目は、理念。

 

「理念」だ。

 

「目標」ではない。

 

「目標」が不必要だというつもりはない。

 

しかし「目標」だけでまとまろうとして、

うまくいかないことを多数見てきた。

 

「理念」を体現する過程で、「目標」が達成される。

 

「理念」が目指すものであり、

「目標を達成すること」はそのための一つの「手段」にすぎない。

 

「手段」を「目的」化した時に、大抵何かがおかしくなってくる。

 

「理念」に共感し、皆がそれを大事なものとしているか。

 

「目標」がはっきりしているより、このことの方が大事なことだ

 

と私は考えている。

 

今日もここまでお読みいただきありがとうございます。

 

では、また。

 

毎朝の思考習慣:今日のご機嫌宣言!「ぼちぼち」

【今日のご機嫌宣言!】(2018.8.5

  

自分の機嫌は自分でとる!!

今日は「ぼちぼち」。

 

「ぼちぼち」と考える。

 

いつもトーナメント(勝ち抜き戦)を闘っている訳ではない。

 

「負けたら終わり」と勝手に思い込んでないか?

 

「ぼちぼち」でもいい。

 

今の自分でやれることをやる。

 

どんなに高くを望んでも

どんなに高くを目指しても

一足飛びには辿り着かない。

 

今、出来ることをただやり切ろう。

 

その先にしか、目指す場所は存在しない。

 

あきらめず、ただやり続けよう。

 

「ぼちぼち」でいい。

 

でも、止まらずに進み続けよう。

 

今日もごきげんな一日を!!