「習慣化」でうまくいく〜二つの「トトノエル」の実践

何事でもうまくいくための「習慣」を身につけるために、私が日々実践していることを中心にお伝えします。

常に選ぶことができる

【常に選ぶことができる】

 

私たちは、常に選ぶことができます。

 

自分の言動は基本的に自分で決められます。

 

何か嫌なことがあった場合、

 

相手に対して、

きつく、責めるような言葉を投げかけることも

 

そんなことは気にせず、優しく思いやりのある言葉をかけることも

 

どちらでも自分で選べます。

 

厳しい状況に対して、

 

諦めて、投げやりな態度をとることも

 

とらわれず、前向きな態度をとることも

 

どちらでも自分で選べます。

 

本当はどちらでも選べるにも関わらず、

実際の私たちは、無意識のまま

常にどちらかの反応しかしません。

 

それは一体なぜなんでしょう。

 

これは、性格の問題では無いです。

また、意思の力や生まれ持った才能などでもありません。

 

私は、たった一つのことを知らないだけだと考えています。

 

その「たった一つのこと」とは

 

「感情は自分が作り出している」

 

ということです。

 

例えば、

 

大事な約束の時間に間に合うように移動していたのに

突然、電車が駅と駅の間で止まってしまいました。

どうやら人身事故か何かのようです。

まだ、時間に余裕があるうちはいいのですが、

いつまで経っても動かないと、段々と私はイライラしだします。

 

この私の「イライラ」は何から生まれたのでしょうか?

 

電車が止まっていること?

人身事故があったこと?

いつ動き出すかわからないこと?

 

どれもその通りです。

 

しかし、同じ状況下でも全くイライラしない人もいます。

 

だとすると「電車が止まった」=「イライラ」では無いはずです。

 

いや、それは性格の違いでしょ、なんて思いますか。

 

でも、私自身、時間が切羽詰まっていなければイライラしないこともあります。

 

つまり「電車が止まった」=「イライラ」とは限らないです。

 

何か、別のものが私の「イライラ」を引き起こしています。

 

「電車が止まった」というのはきっかけにしか過ぎません。

 

私の「イライラ」を生み出していたものは、「私の脳」です。

 

私の「脳」のある機能が「イライラ」を生み出しています。

 

その機能は「認知」と呼ばれるものです。

 

この「認知」は、

様々な情報に対して「それがどのような意味のものか」ということを

瞬時に自動的に判断してしまいます。

 

つまり自分が状況に対して自分なりの「意味をつける」のです。

 

「電車が止まった」という状況に対して、

「これは自分にとって不都合なこと」で

「自分にとって望ましくない状況だ」と

私の「脳」が意味をつけたのです。

 

これは無意識のうちに一瞬にして行われます。

 

そして、その意味に応じた「感情」が生じます。

 

その「感情」も一瞬にして生じますので、

自分ではその瞬間にその「感情」に気づきません。

 

その「感情」に気づいていないので、

そのまま「感情」に流されたまま活動してしまいます。

 

この仕組みを知らないと、

自分の活動は自分以外の何かの所為でそうなってしまう

と思い込んでいます。

 

「電車が止まった」所為で、「イライラ」して

つい車掌さんにきつく当たってしまった

 

なんてことになってしまいます。

 

「感情」を生み出しているのが自分(の「脳」)だということを知っていれば、

そんなに無責任に他人に対して感情をぶつけることは出来なくてなってきます。

 

何らかの状況の所為で仕方なく何かをしてしまったように思えたとしても

実は、それは全くの見当違いで、やはり自分の活動は自分の責任だということです。

 

このことを知ってから、

 

「自己責任」という言葉の大事さ

 

を感じられるようになってきました。

 

今日もここまでお読みいただきありがとうございます。

  

では、また。