「成功」も「失敗」もただの「解釈」でしかない
【「成功」も「失敗」もただの「解釈」でしかない】
(中略)失敗した時にプレッシャーを感じず、失敗したことを認めて責任を全部負う(中略)
(中略)あなたの眼を見て「失敗しちまった」と非を認める。それだけだ。自信に満ち、単純で、事実であり、説明などない(中略)
(中略)自分が失敗したのならそれを認めることだ。それ以上に早くプレッシャーを軽減する方法はない(中略)
(中略)失敗を認めない限りは何も治すことは出来ないのだ。
「リレントレス 結果を出す人の13の法則」(ティム・クローバー著)
ある時、ある人からこんな風に言われました。
「自分にとって「成功」も「失敗」もないんです」
「???」
よくわからないですよね。
「成功」も「失敗」も単なる解釈の一つです。
ある出来事に対して
望んだようになっていれば「成功」
そうでなければ「失敗」
と言っているだけのことです。
事実はただ一つの事実があるだけで、
それに対して「成功」とか「失敗」など
自分が何らかの基準で解釈しているだけのことです。
その「解釈」=「事実に対する自分の意味付け」から解放されれば
「成功」も「失敗」も関係なくなります。
「成功」=いいこと
「失敗」=ダメなこと
と無意識に私たちは思い込みすぎていないでしょうか。
「ダメなこと」だから、自分のせいではないと思いたくなります。
「ダメなこと」だから、誤魔化したくなります。
「ダメなこと」だから、隠したくなります。
でも「ダメなこと」という意味から解放されていれば、
そんなことどうでもいいことです。
ただ「そういう事実があった」というだけ。
「解釈」にとらわれ、そこから離れられないと、
自分の思考や行動の選択肢を狭めてしまいます。
人は出来事に対して、
無意識のうちに「意味づけ」します。
自分なりの「意味」を勝手につけてしまいます。
この「意味づけ」をしているということに気がつかないと
出来事(正確には、その出来事につけた意味)に気持ちが振り回されてしまいます。
出来事に気持ちが振り回されている状況こそ、
「心が乱れている」
状況です。
この状況では、決して活動のパフォーマンスは上がりません。
私も心が乱れます。
また「失敗」という意味づけにとらわれます。
だからこそ、心をトトノエルために
「成功」も「失敗」もない
「失敗」はより良くするためのデータにすぎない
こんなことを時々思い出し、
自分の心をトトノエテいます。
今日もここまでお読みいただきありがとうございます。
では、また。