「習慣化」でうまくいく〜二つの「トトノエル」の実践

何事でもうまくいくための「習慣」を身につけるために、私が日々実践していることを中心にお伝えします。

「思いやり」について

【「思いやり」について】

 

相手との良好な関係を築く上では

 

「思いやり」

 

ということが大事な要素になります。

 

「思いやり」という言葉に意味をネットで調べると

 

1 他人の身の上や心情に心を配ること。また、その気持ち。同情。

2 想像。推察。

3 思慮。分別。

 

などと出ています。

 

他人=相手に対して、その気持ちを想像して、気配り心配りをすること

 

と言っても良さそうです。

 

そんな「思いやり」のある行動とは

 

相手のことを思って何かをしてあげる

 

ということになります。

 

多くの場合、これはお互いの関係を良好にすることにつながります。

 

しかし、こんなこともあります。

 

相手のことを思って何かをしたのに、

相手の反応は全くこちらが思っていたことと違う、、、

 

せっかく相手のことを思って、してあげたのに

相手はお礼を言わないどころか迷惑そうな態度をとる

 

こんな時に、こちらはどうなるでしょうか。

 

大抵は、いい気分ではないはずです。

 

腹立たしく思ったり、相手のことを責める気持ちになったりします。

 

元々は相手を「思いやる」気持ちであったのに

結果的には相手を「責める」気持ちになっている。

 

よく考えると実に矛盾しています。

 

良好な関係を築こうと思っていたのに、全くの逆効果!

かえって関係がこじれてしまったりします。

 

どうしてこんなことが起こるのでしょう?

 

ダライ・ラマがその著書で次のようなことを語っているそうです。

 

「真の思いやりは感情的反応であるばかりでなく

 理性に基づく揺るぎのない献身である」

 

「この強固な基盤があるがゆえに、他者に対する真の思いやりの態度は

 たとえ相手が否定的に振舞ったとしても変わることはない」

 

「真の思いやりはこちらからの予想や期待に基づくものでなく、

 相手側の要求に基づいている」

「相手が友人であろうと敵であろうと関係ない。これが真の思いやりである」

 

私たちが相手のことを「思いやる」気持ちで何かをする時、

 

相手が本当に望んでいることをするのではなく

自分の勝手な思い込みで何かをしている

 

ことが多いかもしれません。

 

自分はそれで

 

「~してあげた」

 

と満足できるかもしれませんが、

相手から見たらどうでしょうか?

 

気持ちはありがたいけど、それじゃないんだよな、、、

 

そんな風に思われても仕方ないです。

 

本当の「思いやり」ということは、

自分の「独り善がり」なものではないということなのでしょう。

 

このことを忘れて、

相手にとって良いことだと自分の勝手な思い込みだけで何かをして

相手の反応が自分の期待通りでないことでお互いに気分を害し

結果的に関係性にヒビが入ってしまうとしたら、、、

 

問題はどちらにあるのでしょうか?

 

一方的に相手を責める気持ちになっている時、

このことを思い出して、自分の行動を振り返ることで

自分の気づかなかった自分の問題に気がつくことも多いです。

 

今日もここまでお読みいただきありがとうございます。

  

では、また。