「習慣化」でうまくいく〜二つの「トトノエル」の実践

何事でもうまくいくための「習慣」を身につけるために、私が日々実践していることを中心にお伝えします。

「意味づけ」に気づこう

クリス岡崎さんのメルマガにこんなことが書いてありました。

 

引用ここから

 

パソコンの設定している時に、

時間がかかるなとイライラしながら、

待っている人がいた。

 

それを見た同僚が、

その人にこう言った。

 

「その設定って普通34時間かかるんですよ。

 まだ5分しか待ってないじゃないですか。

 でもあなたはあと1時間で終わりますよ。

 

 ラッキーですね」

 

それを言われたその人は、

一瞬にして気持ちが変わる。

 

「なんだ普通より早く終わるんだ」

 

意味づけが変わると、

一瞬にして幸せになれるのだ。

 

引用ここまで

 

出来事、事実が同じでも

それに対する意味づけで

自分の状態は全く変わってしまいます。

 

私たちの感情はこの「意味づけ」によって生じています。

 

つまり「心の状態」は自分の「意味づけ」が決めているのです。

 

とすると、、、

 

いい状態にいたいなら「意味づけ」を良いものだけにしたらいいのか!

 

なんて思いましたか?

 

どんな出来事に対しても「良い意味」を見出す。

自分にとってのプラスの「意味」をつける。

 

これがいわゆる「ポジティブ思考」「プラス思考」ですね。

 

確かにこれなら、自分の心が乱れることはありません。

 

では私が日々実践している「心をととのえる」ということは

「ポジティブ思考」「プラス思考」なのかというと、、、全く違います。

 

「心をととのえる」と「ポジティブ思考」「プラス思考」の違いは

改めて書きます。

 

今日は、

 

自分の「心の状態」は自分の「意味づけ」によって決まっている

 

ということをしっかりと知っておいてください。

 

これは、誰かの言動で自分が

 

イライラしたり、落ち込んだり、、、

 

したとしても、それは相手の所為ではなかったということなんです。

 

相手の言動に自分でも気づかないうちに一瞬にして

 

自分にとって悪い意味をつけている

 

ことによって、自分の心が乱されているだけなのです。

 

この

 

「意味づけ」=自分が意味をつけている

 

ということを理解することから、自分の「心をととのえる」ことは始まります。

 

「意味つけている自分」に気づくことで、心はととのい始めます。

 

明日に続きます。

 

今日もここまでお読みいただきありがとうございます。

 

では、また。

 

毎朝の思考習慣:今日のご機嫌宣言!「いい1日が始まった」

【今日のご機嫌宣言!】(2018.8.11

 

自分の機嫌は自分でとる!!

今日は「いい1日が始まった」。

 

「いい1日が始まった」と考える。

 

今日は「いい日」だ。

 

「いい日」と決める。

 

理由はいらない。

 

「いい日」と決める。

 

「いい日」にするのでもない。

 

今日起きることを評価や判断して、最良にするのでもない。

 

とにかく、何があっても「いい日」と決めておく。

 

決めておけば、悩まない。

 

今日もごきげんな一日を!!

「やること」を決める前に「やらないこと」を決める

人や組織が「力を発揮出来る状態」が「活性化した状態」だと私は考えています。

 

「活性化」することにより、「力」が発揮できます。

「力」が発揮出来るから「成果」が上がりやすくなります。

 

もし「成果」を望まないのであれば、

「力」を発揮する必要もないし、

「活性化」も必要ありません。

 

何か求めているものがあればこそ、

自分や周囲を「活性化」したほうがいいのです。

 

さて、自分や周囲を活かそう(活性化しよう)と思った場合、

 

「そのために何をするのか?」

 

と大抵は考えます。

 

そして、何か新しいことを始めようとします。

 

もちろんこれを間違っているとは思いません。

私自身もそういう風に考えていることが多いです。

 

しかし、振り返ってみると、そんな考え方で何か新しいことを始めても、

続かずにいつの間にかやめてしまい、結局、前と同じままだった。

そんなことも沢山あります。

 

きちんと「やること」を決めて始めたのに続かない、、、

意思が弱いなあ、、、

根性がないなあ、、、

結局自分には無理なんじゃないか、、、

 

そんな風に思ったりもします。

 

もしそんな経験がよくあるようなら、それは考える方向が違っていたのかもしれません。

 

何か「やること」を決める、というのは、

 

今の自分に足りないものがあるので、何かを付け加える

 

という足し算の考え方です。

 

私たちは24時間、常に何かをしています。

今の自分は自分の習慣化された行動パターンの中で活動しています。

 

自分では気がつかないかもしれませんが、

無意識の中では自分のスケジュールは常に埋まっているようなものです。

 

いや、そんなことはない!

サボっている(休んでいる)時間がある。

 

なんて思うかもしれませんが、

そのサボっていることすら、いつもやっていることなら

無意識の中では自分のスケジュールに組み込まれているのです。

 

何が言いたいかというと、

 

私たちは新しいことを始める余裕がない

 

ということなんです。

 

余裕がない中で無理してやろうとするので、

結局はきつくなってやめてしまう。

 

実は、無意識の世界ではそんなことが起きています。

 

別の言い方をすると、

何か新しいことを始めたくても

今までの習慣が邪魔をしているのです。

 

だから最初に決めることは

 

「やること」ではなく「やらないこと」

 

なのです。

 

自分を活かそうと考えた時、

 

それを邪魔している自分の活動パターンを見つけて

それを「やめる」もしくは「やらない」

 

と決めることが重要です。

 

「やらないこと」を決める

 

是非、試してみてください。

 

今日もここまでお読みいただきありがとうございます。

 

では、また。

 

毎朝の思考習慣:今日のご機嫌宣言!「言葉を大事にしよう」

【今日のご機嫌宣言!】(2018.8.10

 

自分の機嫌は自分でとる!!

今日は「言葉を大事にしよう」。

 

「言葉を大事にしよう」と考える。

 

言葉で心の状態が影響を受ける。

 

耳から入る言葉で自分の心は作られる。

 

他人の言葉は変えられない。

 

他人が何を話すかは決められない。

 

自分の言葉は変えられる。

 

自分の言葉は自分で決められる。

 

自分の言葉は自分が最初に聞いている。

 

自分が聞きたい言葉を使おう。

 

自分の心の状態が整う言葉を選んで使おう。

 

良い言葉は良い心を作ってくれる。

 

今日もごきげんな一日を!!

理屈は後からしか出来上がらない

私は企業研修の講師の仕事をしています。

一般的に、講師とは人にものを教える仕事ですよね。

 

何を教えるかという中身=コンテンツはそれぞれ違いますが、

結局教えているのは「理屈」です。

 

「知識」「テクニック」「ノウハウ」等々、色々な呼び方はありますが、

結局、研修などで教えるのは、その「理屈」です。

 

考えてみれば、私たちは今ままで色んな「理屈」を教えられてきました。

 

「理屈」は「頭」で理解するものです。

 

つまり「頭」を使うことを鍛えられています。

 

これは勉強ができるとかそういうことだけでなく、

常に、頭で「理屈」を考えることを求められ、

鍛えられてきています。

 

だから、自然と無意識に私たちは「理屈」を求めていますし

それに応えるように「理屈」を伝えよう、教えようとします。

 

でも、順番が逆かもしれません。

 

「理屈」は「現実」を観察する中から出てきた「仮説」でしかありません。

たまたま多くのケースで当てはまるものが「真実」「正解」のように扱われますが

実際には「仮説」でしかないのではないでしょうか。

 

「理屈」が「現実」を作り出すのではなく

「現実」を自分に都合よく説明するための「理屈」が後から出てくる。

 

「理屈」だけを先に「頭」に入れても

それで「現実」に何かが変わることはありません。

 

「現実」は「理屈」通りに動いているのではなく

「現実」を説明する都合のいい「理屈」があるだけです。

 

主従関係を逆にしてはいけないと思うのです。

主は「現実」で、従は「理屈」。

 

現実に今ここにあるのは自分の「身体」

「頭」で考えていることは、実際に今目の前にはないこと。

考えているだけでは何も現実は変わらない。

 

実践を伴わない「理屈」は無意味です。

「頭」を先に使うより、もっと「身体」を使ってみる。

 

頭でっかちの評論家や批評家ばかり増えても、何も現実は変わりません。

 

自分は、評論家や批評家になりたいわけではありません。

 

常に「実践者」でありたい。

 

何かを学ぶのも常に「実践」を前提にしていきます。

何かを伝えるのも「実践」を土台にして伝えます。

 

現実から遊離した理論だけの整合性とは一線を画していこうと思います。

 

大好きな森信三先生の言葉を思い出しました。

 

批評眼は持つべし。

されど批評的態度は慎むべし。

すべからく他を批判するの眼を

自己に返照しきって創作実現へと踏み出すべし。

 

今日もここまでお読みいただきありがとうございます。

 

では、また。

 

毎朝の思考習慣:今日のご機嫌宣言!「委ねる」

【今日のご機嫌宣言!】(2018.8.9

  

自分の機嫌は自分でとる!!

今日は「委ねる」。

 

「委ねる」と考える。

 

自分が全てをコントロールしようとしていると苦しくなってくる。

 

そんな気持ちを手放してみる。

 

思い切って委ねてしまう。

 

自分では「こだわり」と思っていたけど、

ただの「とらわれ」や「執着」かも知れない。

 

そんな気持ちは必要ない。

 

無駄な力を使わなくていい。

 

相手を信じ、周囲を信じて委ねよう。

 

心が軽くなってくる。

 

今日もごきげんな一日を!!

支えてあげるという姿勢

武井壮さんのツイッターでこんなことが呟かれていました。

 

”スポーツ界さあ、指導者問題しょうもない、そもそも私の指導のおかげで選手が成長した、というなら伸びないヤツらも全員貴方のせいなのよ。伸びなかったら私の責任、伸びたら選手の頑張りと言える器量持とうぜ。コーチとか監督とかいう呼び名撤廃してサポーターとチーフサポーターにしたらいいと思うわ”

 

これって、スポーツ界だけのことではないですね。

 

企業などの組織における「上司と部下」

学校などでの「先生と生徒」

家庭での「親と子」

 

など、あらゆる局面で「上下の関係」になっているところで通用することではないかと思います。

 

「伸びなかったら私の責任、伸びたら選手の頑張りといえる器量」と表現されていますが、

どうしたらこんな風になれるでしょうか。

 

最後の言葉がヒントになっている様に感じます。

 

「サポーターとかチーフサポーター」

 

プレーをするのは選手なんです。

実際の実務を担当しているのは部下です。

勉強をするのは生徒です。

色々な活動を通して育つのは子供です。

 

主役はどちらでしょうか?

 

もし、自分が上の立場だとしたら、、、

実際にやるのは下の立場の人たちです。

 

実際に行動する人が結果は出すのです。

 

行動しない人が結果を出しているのではないのです。

 

行動しない人ができることは、

行動する人が最後までやり切れる様に

 

「支えてあげる」

 

ということだけです。

 

具体的に何か手を貸す事もあるかもしれません。

 

でも基本は

 

「応援」

 

です。

 

目指すものに向かって力を出し切ってやり切れる様に

力を与え続けることです

 

相手を認め、その活動を支えてあげよう、

という姿勢(意識と言ってもいいでしょう)

を上の立場の人こそ持たなければいけない

 

そんなことを考えています。

 

今日もここまでお読みいただきありがとうございます。

 

では、また。