「習慣化」でうまくいく〜二つの「トトノエル」の実践

何事でもうまくいくための「習慣」を身につけるために、私が日々実践していることを中心にお伝えします。

毎朝の思考習慣:今日のご機嫌宣言!「喜んであげる」

【今日のご機嫌宣言!】(2019.2.7

 

自分の機嫌は自分でとる!!

今日は「喜んであげる」。

 

「喜んであげる」と考える。

 

誰かのことを喜んであげる。

 

誰かの喜びをわかってあげる。

 

誰かの成長をよろこんであげる。

 

自分のことだけでなく

周囲の人のことを

大事に思ってあげる。

 

誰かの変化に気づき

成長として認めてあげる。

 

他人のことなのに

自分の気分も良くなってくる。

 

他人の感情をわかってあげる。

喜びは分かち合える。

 

今日は周囲の喜びを感じよう。

 

周りには喜びが満ちている。

 

素敵な1日が始まった!

 

今日もごきげんな一日を!!

 

感情は自分で作り出せる?!

【感情は自分で作り出せる?!】

 

唐突ですが、、、

 

どんな気分が好きですか?

 

嬉しい気分?

辛い気分?

 

楽しい気分?

苦しい気分?

 

幸せな気分?

不幸せな気分?

 

もし、あなたが前者の方を選ぶのであれば、

お伝えしたいことがあります。

 

そんな気分を味わえることを、他人任せにしていませんか?

何かいいことがあるから、そんな気分を味わえると思い込んでいませんか?

 

他人から認められるから、、、嬉しい

お気に入りの芸人のパフォーマンスが見れたから、、、楽しい

お金がいっぱいあるから、、、幸せ

 

もし、これと同じような感覚でいるとしたら、、、

 

自分が味わいたい、つまり、そんな自分になりたいのに、

それは、自分でそんな自分になることを放棄して

他人に何とかしてもらおうと思っているのと同じです。

 

きつい言い方をすれば、

 

自分の人生を他人任せにしている

 

ようなものです。

 

でも、そんなこと言われても、、、

実際、自分一人でそんな気分を味わえることはないじゃないか、、、

 

なんて思いますか。

 

だとすれば、人の感情が何により生じてくるかを誤解しています。

 

私たちの感情は、何か自分ではないもので生じている訳ではないのです。

 

私たちの感情を生み出しているのは、実は、自分自身なのです。

 

私たちの脳の誰にでもある機能が、感情を生み出しています。

 

その機能のことを「認知」と呼びます。

 

「認知」という機能は何をしているかというと、

 

私たちが出会う出来事の自分にとっての意味を見出しているのです。

 

この出来事は自分にとって「良いこと or 悪いこと」と無意識のうちに判断しているのです。

 

この意味づけに従って、自分の感情が生じています。

 

だから、出来事に固有の意味があるのではなく、

その出来事を自分がどう捉えているかだけなのです。

 

誰に対しても同じような意味になる出来事はないです。

 

つまり、出来事そのものが原因で感情が生じるのではなく、

その出来事を自分がどのように感じているかだけなのです。

 

ということは、

 

自分で自分の感情を作り出すことができる

 

ということなのです。

 

だとしたら、

 

自分が感じていたい気持ちを自分で作りだせる

 

のです。

 

少しわかりづらい言い方ですね。

 

また明日、この続きを書かせてもらいます。

 

今日もここまでお読みいただきありがとうございます。

  

では、また。

 

毎朝の思考習慣:今日のご機嫌宣言!「ぼちぼち」

【今日のご機嫌宣言!】(2019.2.6

  

自分の機嫌は自分でとる!!

今日は「ぼちぼち」。

 

「ぼちぼち」と考える。

 

「負けたら終わり」と勝手に思い込んでないか?

 

いつもトーナメント(勝ち抜き戦)を闘っている訳ではない。

 

「ぼちぼち」でもいい。

 

今の自分でやれることをやる。

 

どんなに高くを望んでも

どんなに高くを目指しても

一足飛びには辿り着かない。

 

今、出来ることをただやり切ろう。

 

その先にしか、目指す場所は存在しない。

 

あきらめず、ただやり続けよう。

 

「ぼちぼち」でいい。

 

でも、止まらずに進み続けよう。

 

今日もごきげんな一日を!!

 

意識を変える?

【意識を変える?】

 

「もっと意識します」

 

私は研修やコンサルや面談などの最後に必ず「振り返り」をしてもらいます。

今までのことを振り返り、それぞれの気づいたことなどを共有してもらいます。

 

その時に、こうした言葉がよく出てきます。

 

自分の直したいところ、変えたいことに気づくとこんな言葉が出てきます。

 

実際に、自分も昔はよくこんなことを言っていた気がします。

 

そんな自分のことを振り返ってみると、

 

「意識します」と言っていて、

何かを変えられたことは実際にはあまりなかったようです。

 

「意識します」と言っている間は、結局、変われなかったです。

 

では、どうすればいいのか、、、

 

やはり「決断する」しかないです。

 

何を「決断する」のか?

 

それは

 

「やめること」と「やること」

 

を明確に決めることです。

 

これは

 

「行動」を具体的に決める

 

ということです。

 

つまり「意識」ではなく「行動」を明確にすることです。

 

「意識」という形のないものではなく、

「行動」という明確に形に表せるものを決める。

 

「意識」というあやふやなものではなく、

「行動」というはっきりしたものを決める。

 

「行動」を継続するからこそ、「意識」も変わってきます。

 

例えば、

 

「もっと周囲に感謝することを意識します」

 

よりも

 

「常に『ありがとうございます』と言います」

 

です。

 

そして、

 

「ありがとうございます」という言葉を使い続けているうちに

 

自然と「ありがたいな」という気持ちも多く感じられるようになってきます。

 

「思考」は「意識」の表れです。

 

「思考」をコントロールすることで、「意識」を変えていくこともできます。

 

その「思考」は使っている「言葉」に大きく影響されます。

 

つまり普段使う「言葉」を変えることで、

習慣となっている「思考」や

自分では気づいていない「意識」を

変えることができます。

 

普段使っている「言葉」を変えて、それを続けていく。

 

自分の何かを変えたいのなら、試してみる価値はありますよ。

 

今日もここまでお読みいただきありがとうございます。

  

では、また。

 

 

毎朝の思考習慣:今日のご機嫌宣言!「信じる」

【今日のご機嫌宣言!】(2019.2.5

 

自分の機嫌は自分でとる!!

今日は「信じる」。

 

「信じる」と考える。

 

無条件に「信じる」。

 

~だから、信じる。

~だったら、信じられる。

 

こうした条件つきではない。

 

無条件に、ただ「信じる」。

 

信じられるかどうかという「評価」や「判断」をするのではない。

 

「信じる」という意思を持つ。

 

もし自分が無条件に「信じる」と言われたら嬉しい。

そんな相手を大事にしたいと思う。

 

ならば無条件に「信じる」自分になることが

相手を大事にするし、自分も大事にすることになるかもしれない。

 

何しろ「信じる」というあり方って格好良い、と思う。

 

今日は「信じる」。

 

今日もごきげんな一日を!!

自然に境目はない

【自然に境目はない】

 

「自然に境目はない」
「人間が作るものには境目がある
 それをガウディは悲しく思ったのではないでしょうか、、」

 

先日見た天才建築家ガウディの特集番組の中で
外尾悦郎さんが語っていました。

 

バルセロナにある「サグラダ・ファミリア大聖堂」の建築で
ある部分の色をどのようにしようかと思案している中で出てきた言葉でした。

 

これは建築中の部分の色彩をどうするかに悩んでいた時のことです。

 

自然を観てみると、きっちりと境目で色が分かれているものは少ないです。
空や海の色合いは、境界で混じり合っています。
グラデーションになっています。

 

そして、外尾悦郎さんはグラデーションを取り入れることを決めました。

 

さて、外尾悦郎さんのことやガウディの話を書きたいのではなく、、、

 

「境目」

 

という言葉が、心に残ったのです。

 

私たちが作るものには確かに境目があります。

人間の意識は「境目」を作ります。

 

「オン」と「オフ」なんて言葉で、仕事とプライベートを分けます。

確かに、仕事は仕事だし、プライベートはプライベートです。

しかし、どちらも同じ一人の人間がしていることです。

 

時間や場所で、仕事とプライベートは区切ることはできるかもしれませんが
本当にそんなに綺麗に人は分けられるものでしょうか。

 

仕事中にプライベートのことを考えたり、
プライベートで仕事のことが気にかかったりします。

 

きれいに分けられるものではありません。

それを分けようとしても無理がある気がします。

 

組織の中でも同じようなことを思います。

 

それぞれに「役割」があり、分けられてます。

もちろん、それぞれの役割に対し責任を持って取り組むことは必要です。

 

その責任だけに意識がとらわれていると、、、
何か問題が発生すると、誰の責任かを追求します。

 

しかし、誰か一人(1部署)だけの責任と言い切れるものばかりでしょうか。

関連している皆が、何らかの責任を大なり小なり持っているはずです。

 

だとしても、誰の責任かをはっきりさせ、
自分たちの問題ではないとしようとしてしまいます。

 

すると、常に問題に立ち向かうのはいつも「個」。
「個」の頑張りに「組織」が依存しています。

 

全体で達成に向けて助け合い協力し合うということが薄れてしまいます。

 

「個」の頑張りだけで「組織」をよくしていく
「全体」が協調して「組織」をよくしていく

 

どちらの方が効果的でしょうか。

考えるまでもないことです。

 

頭では皆、わかることです。
だから、協力しようなどの声は出てきますが、
実際の行動はそうならないなんてことがあります。

 

それは、自分たちが「境目」を作るという意識でいることに気づいていないからかもしれません。

 

自分には関係ないように思うことでも、
自分がちょっと何かしてあげることで、誰かが助かる、楽になる。

 

大げさなことでなくても、
自分の仕事ではないからといって見過ごしていることに
何か気づいたら、すぐにやってみる。

 

落ちてるゴミを拾う
他人の履物も揃える
開けっ放しの扉を閉める、、、

 

こんなことを意識してやってみる。

 

そんなことを続けていくことで、
自分でも知らないうちに周囲に良い影響を与え、
全体も良い方向へ向けていくことができるかもしれません。

 

今日もここまでお読みいただきありがとうございます。
  
では、また。

 

毎朝の思考習慣:今日のご機嫌宣言!「今ここ」

【今日のご機嫌宣言!】(2019.2.4

 

自分の機嫌は自分でとる!!

今日は「今ここ」。

 

「今ここ」と考える。

 

「過去」は既に過ぎ去った。

「未来」は未だ来ていない。

 

目の前には「今」しかない。

 

「今ここ」にしか自分はいない。

 

「今ここ」でしか何もできない。

 

変えられない過去にとらわれると

、、、後悔を感じる。

 

不確定な未来に揺らぐと

、、、不安に陥る。

 

どちらも共通していることがある。

 

それは「今ここ」から意識が離れているということ。

 

「今ここ」に戻ってこよう。

 

目の前の「今」を選択して生きよう。

 

「今ここ」を選ぶ

、、、すっきりした気分。

 

今日もごきげんな一日を!!