「習慣化」でうまくいく〜二つの「トトノエル」の実践

何事でもうまくいくための「習慣」を身につけるために、私が日々実践していることを中心にお伝えします。

結果に囚われると、、、

【結果に囚われると、、、】

 

今日は少し遠出をするので車を運転していました。

 

最近の車は色々な機能がついていますね。

 

運転の安全度みたいなのがスコア化されて出てきます。

 

運転を終了する度に、スコアと簡単なコメントが表示されます。

 

こうしたものがあると、やはり意識してしまいます。

 

気にしていないつもりでも、運転を終えると

ついスコアがどうだったか見てしまいます。

 

そして、よければちょっと嬉しかったり

あまり良くないと、少し悔しくなったりします。

 

結果が気になるから、運転中も少し意識します。

 

出来るだけ、急発進や急加速を避けようとします。

急ブレーキにならないように、いつもより丁寧に運転します。

 

自分が評価されていると思うと、

意識していないようでも

実際には気にしていることが多いです。

 

そして、実際の行動に何らかの影響が出ます。

 

大抵は、良い影響であることが多いでしょう。

 

しかし、今日はこんなことがありました。

 

特にスピードも出すこともなく、順調に運転をしていました。

 

海岸沿いの曲がりくねった道を走っていて、

ブラインドになったカーブを曲がった時、

若い男女の二人組が道を渡って海に行こうと

道路に飛び出してきたのです。

 

すぐに気づいて、ブレーキを踏んで減速したので

何の問題もありませんでした。

 

安全運転をしていたおかげです。

 

それで良かったというだけのことなのですが、

私は心が乱れていました。

 

もちろん、びっくりしたこともありますが、

もっと別の気持ちを感じていました。

 

急ブレーキをかけたので、今回のスコアが下がってしまう

 

と思い、残念なような、悔しいような気分になっていました。

 

そして、

 

なんで、あんな所を渡ろうとしているんだよ

あの二人の所為で、今回はスコアが悪くなってしまう

 

と少し腹立たしい気持ちになっている自分に気づきました。

 

落ち着いて考えれば、そんなことで腹立てる必要は全くないのですが

その時は瞬間的にそんな気持ちが生じていました。

 

実は、これが

 

「結果に囚われている」

もしくは

「結果に執着している」

 

時に起こりやすいことです。

 

結果を求めて行動するのは別に悪くありません。

 

しかし、求めている「結果」に囚われたり、執着してしまうと

現実を自分の都合の良いように解釈しだしたり

自分に不都合な現実を否定するようなことを自然としてしまいます。

 

自分の心が乱れている時、

それは実は自分の「囚われ」や「執着」が引き起こしていることも多いです。

 

今日は改めてそんなことを実感しました。

 

今日もここまでお読みいただきありがとうございます。

  

では、また。