「習慣化」でうまくいく〜二つの「トトノエル」の実践

何事でもうまくいくための「習慣」を身につけるために、私が日々実践していることを中心にお伝えします。

バケツから溢れる

こんな記事を見つけました。

キレる中高年、精神科医が指摘する哀しき理由

 

この内容は

ちょっとしたことでキレるのは、実は中高年の男性が多い

ということとその理由について書かれています。

 

さて、この記事の中でこんなことが書かれています。

 

「怒りはあくまでも二次感情です。

 そして、その二次感情を生みだす一次感情は不安です」

 

怒りやすい(キレやすい)人は、

この一次感情にあたる「不安」の耐性が低い人=ビビリな人

だとも書かれています。

 

確かにそういう側面もあると思いますが、次のようなことも書かれています。

 

「人の心の中には“不安を溜めるバケツ”があり、

 私たちが日常の中で感じている様々な不安は

 そのバケツに溜まっていきます。

 そして、それがいっぱいになったところに別の不安が生じると、

 ついには不安がそのバケツから溢れ出し、

 それが「怒り」という二次感情となって出現するのです」

 

不安を溜めるバケツがいっぱいになっているので、

ちょっとしたことでバケツから溢れてしまうわけで

それが怒り(キレる)という形をとるのだということですね。

 

そうすると、単に「耐性が低い」というのとはちょっと訳が違います。

 

「耐性が低い」のではなくて「(もう既に)限界まで耐えている」状態だということです。

 

ストレスに関しても以前似たようなことを聞きました。

 

最近の子供は昔と比べてストレスに弱くなったと言われるが、

今の子供たちが日常的に感じているストレスは昔よりはるかに多い。

だから、ちょっとしたことでストレスに負けてしまうように見えているだけなのではないか。

つまり、昔と比べるとストレスを溜めるバケツが、

気がつかないうちにいっぱいになっているような状況に置かれているだけのこと。

子供自身が本来持っているストレスへの耐性が弱くなったとは一概に言えないのではないか。

 

「不安」や「ストレス」を「不満」という言葉で置き換えても同じことが言えそうです。

 

ちょっとした「不満」を日常的に感じていて、

でもそれは耐えられるレベルのものだから「我慢」する。

その場ではそれで何も不都合はないです。

しかし、ただ「我慢」した「不満」はバケツに溜められているだけです。

そんなことをずっと続けていくと、いつの間にかバケツがいっぱいになってしまいます。

 

そんなところへ、

今までと同じ大したことのない「不満」が生じると、、、、

見事に溢れてしまいます。

 

溢れた「不満」は「怒り」という感情となって荒れ狂います。

 

こうなるともうアウト!です。

 

自分がこうなってしまったのがはっきりわかります。

こうならないためには、

軽い「不満」であってもしっかりと解消しておかなければいけなかったのかもしれません。

 

ただ、「耐えて」「我慢して」いることでは根本的に何も解決していなかったのだと思います。

 

ではどうすればよかったのか?

同じことが起きないようにするにはどうすればいいのか?

 

一つには、普段から「溜めない」ことが効果がありそうです

 

「我慢」したり「耐える」ということは、何の解決にもなりません。

 

「嫌なものは嫌!」とまずは、自分の感情を素直に自分で認める。

良いとか悪いとかの評価や判断はせずに、素直に受け入れる。

 

その上で、どのように行動するかは自分で(自分の責任で)決める。

 

そのように意識して、そのように行動することは、私にとっては効果があります。

 

これも含め、これからもその答えを探し続け、実戦を通し試し続けていきます。

 

今日もここまでお読みいただきありがとうございます。

 

では、また。