「安定」は「不安定」を受け入れること
人は安定を求めます。
人間の身体が一定の状態を保とう(例えば、体温を一定に保つ)
とするのと同じように、「心」も安定した状態にしようとします。
それは自然なことだと思います。
ただ、「安定」は「固定」とは違うのではないでしょうか。
「安定」は他者や周囲との関係性が「安定」することではないかと思うのです。
一方、「固定」は周囲と関係なく固まってしまっているような感じです。
当たり前のことですが、周囲は常に変化していきます。
関係性を安定させるためには、
必然的に自分も変化を受け容れていかなければいけません。
でも、実際に安定を求めている時は
変化を拒むようなことをしていたりします。
結果的に関係性はより不安定なものになり、
求めていた「安定」は手に入りません。
先日、ある武術家の方のお話を聴く機会があり、そこで
「定位」と「定置」は違う
「定位」は身体の部分同士(例えば、肘と腰など)の関係性を定めること
「定置」はどこかに居着いてしまうこと
「居着いてしまう」と、先はない
などということを聴き、妙に納得してしまいました。
「安定」は「変化を受け容れる」こと、つまり、
今の「安定」を手放して「不安定」になること
を受け容れる先にしか「安定」は訪れないものかもしれません。
「変化」を恐れず、不安定な状況に対しても躊躇せず進める自分でありたい
そんなことを考えています。
今日もここまでお読みいただきありがとうございます。
では、また。