「習慣化」でうまくいく〜二つの「トトノエル」の実践

何事でもうまくいくための「習慣」を身につけるために、私が日々実践していることを中心にお伝えします。

毎朝の思考習慣:今日のご機嫌宣言!「見守ろう」

【今日のご機嫌宣言!】(2019.9.15

 

自分の機嫌は自分でとる!!

今日は「見守ろう」。

 

「見守ろう」と考える。

 

疑いをもって見張るよりも

信じて見守るほうが気分がいい。

 

「見張られる」のと「見守られる」のと、

自分だったらどちらがいい。

 

やっぱり自分は「見守られる」ほうが気分がいい。

 

だから相手も見守ろう。

 

一人で何でもやれるわけではない。

 

お互い頼り頼られ、それでいい。

 

人を信じて任せよう。

 

相手を信じて見守ろう。

 

さあ、今日も誰かと関わろう!

 

今日もごきげんな一日を!!

 

「ほめる」の勘違い

【「ほめる」の勘違い】

 

「ほめる」ことが大事だと良くいわれます。

 

「ほめる」ことによって

相手は「やる気」が出てくる。

 

相手の力を引き出し伸ばすためには

「ほめる」ことが必要だ。

 

そんなことが言われていたりします。

 

確かに「ほめられる」と嬉しいですし、

それにより「やろう」という

気分にもなりやすいです。

 

「ほめる」ことで

育成や指導に関する問題は

全て解決してしまうように

錯覚してしまいます。

 

そう、錯覚です。

 

「ほめる」ことは

必ずしも上手くいかない場合も多いです。

 

人を「ほめる」目的は何でしょうか?

 

相手に成長してもらうため。

そういう答えが多いのではないかと思います。

 

「ほめる」「ほめられる」という関係は

人として対等な関係でしょうか?

 

無意識のうちに「上下」「優劣」の関係に

なっていないでしょうか?

 

上司と部下、先輩と後輩、指導者と選手、

更に言えば、親子という関係であっても

そこに役割の違いはあっても

「人」としては対等な関係なはずです。

 

いやいや、

でも自分が出来ていることが

相手は出来ていないんだから、

「上下」や「優劣」はあるでしょ。

対等な関係なんで奇麗事じゃないの。。

 

そんな風に感じますか?

 

そう、おっしゃる通りに

「上下」や「優劣」はあります。

 

でも、それは「行動」のレベルであって

人そのもの「存在」のレベルでは

「上下」も「優劣」もない

というのが私の考え方です。

 

無意識のうちにでも「上下」「優劣」

の関係で相手を捉えていると

 

「上の者が下の者を」

「優れている者が劣っている者を」

 

「操ろう」としてしまいます。

 

相手を

「意志を持ち、判断能力のある人間」

としてではなく、

「指示を与えないと動かない機械やロボット」

のように扱っているのと変わりません。

 

表面的には「ほめる」という行動で

相手を尊重しているように見えていますが、

実は、本当に相手を尊重しているのでしょうか?

 

そもそも「ほめる」というのは

何らかの価値観があってのことです。

 

「ほめる」ということはその価値観を

相手に押しつけているようなものです。

 

平たく言えば、

自分の思い通りにしようとしている

ということです。

 

「ほめる」ということはこうしたことが

裏側に潜んでいるかもしれない。

 

「ほめている」のに、

 

相手とうまくいっていない

相手が思うように動いてくれない

相手が成長していない

 

なんて感じることがあったとしたら、

 

「相手を本当に尊重しているだろうか」

「上下・優劣の関係で接していないだろうか」

 

そんなことを振り返ってみることも必要です。

 

今日もここまでお読みいただきありがとうございます。

  

では、また。

毎朝の思考習慣:今日のご機嫌宣言!「始めよう!」

【今日のご機嫌宣言!】(2019.9.14

 

自分の機嫌は自分でとる!!

今日は「始めよう!」。

 

「始めよう!」と考える。

 

何かをずっと「続けよう」と思うより、

新しく「始めよう」と思う方がワクワクする。

 

「続ける」ではなく、いつも「始める」。

 

今までと同じ事だとしても、

それは「今」この瞬間は今までと違うもの。

 

だから、新しく「始めよう!」。

 

ワクワクした感じが起こってくる。

 

自分が新しくなっていくような気分。

 

動き出そう!という気になってくる。

 

上手くいかなかったり、

思うようにならなかったら

 

また、始めればいい。

 

それだけのこと。

 

さあ、今日を始めよう!

 

今日もごきげんな一日を!!

 

「動機づけ」より「勇気づけ」

【「動機づけ」より「勇気づけ」】

 

相手の思いを聴いていると

 

自分の価値観と違う

 

ことに気がつくことが多々あります。

 

こちらとしては、

目の前の仕事をすることに価値を見出して

もっと一生懸命仕事をしてほしいのですが、

 

聴いていると、

 

仕事には全然興味がなくて

自分の好きなことだけやりたい

 

などということが良くあります。

 

「そんなだから、一向に仕事が上手くいかないんだ」

「その考え方がダメなんだ」

「根本的に間違っている」

 

等々、言いたくなってきます。

 

話を聴いているだけだと、調子に乗って

言いたいことを言いたい放題に言ってくる。

こんなでは甘いのではないか。

仕事には厳しさも必要だ。

甘やかしてはダメだ。

 

そんな風に感じてしまうかもしれません。

 

でも、そんな時ちょっと考えてみてください。

こんな時、自分の意識はどちらに向いているだろう、と。

 

相手を分かってあげよう、なのか

自分のことを分からせよう、なのか。

 

本当はやりたいことがあるのに、

仕事が忙しくて、その時間がとれない、、

 

自分が同じ立場だったらどうなるか、、、

 

愚痴の一つも言いたくなるかもしれません。

 

愚痴を言っていたとしても、仕事が大事なのはわかっています。

 

やらなければいけないのもわかっています。

 

でも、もうやりたくない、、、そんな気持ちをわかって欲しい。

 

そんなこともあるでしょう。

 

全部吐き出した上で、

 

「では、どうしたらいいか?」

 

は自分で考えられます。

 

こちらで答えを与える必要はありません。

 

相手の気持ちを分かってあげて、

 

「どうしたいのかを聴いてあげる」

 

でいいのです。

 

どんなにいい加減に見える相手でも

自分で判断する能力は必ずあります。

 

その力が使えるようにしてあげます。

 

自分では何も決められないような気持ちから解放してあげるのです。

 

行動をさせるように「動機づける」というよりは、

行動をすることを「勇気づける」感覚です。

 

こんな接し方をすることで、変わってくることも多いです。

 

今日もここまでお読みいただきありがとうございます。

  

では、また。

 

毎朝の思考習慣:今日のご機嫌宣言!「遠くを見る」

【今日のご機嫌宣言!】(2019.9.13

 

自分の機嫌は自分でとる!!

今日は「遠くを見る」。

 

「遠くを見る」と考える。

 

目の前のことにだけとらわれ過ぎていないか。

 

視点や視野が狭くなっていないか。

 

息苦しく感じていないか。

 

肩に力が入り過ぎていないか。

 

そんな感じを感じたら、

ちょと遠くを見てみよう。

 

自然と顔も上がるし、呼吸も楽になる。

 

余計な力も抜けていく。

 

視線を変えてみるだけで、

見える世界が変わってくる。

 

いつでも自分は変えられる。

 

今日もごきげんな一日を!!

 

 

「自分が変われた」という経験のもたらすもの

【「自分が変われた」という経験のもたらすもの】

 

「『自分自身が変わった』という経験をすると

 他の人のことを信じられるようになる」

 

以前にあるセミナーに参加した時に聴いた言葉です。

 

その時に自分自身の経験をを振り返り、

「全くその通りだなあ」と共感していました。

 

私自身、以前の自分と比べると変わってきたな、と思います。

 

その変化は50歳を過ぎてからが大きいです。

私は今55歳です。

 

見た目が老けてきたとかいうことでなく、

考え方や性格的なものなど内面的なものが変わってきたと感じています。

 

この変化は

 

外的な要因で「変えられた」というより

自ら「変えよう」と決めて「変わった」

 

という感覚です。

 

もちろん、外的な色々なきっかけはありますが

最終的には自分で変わる決断をしています。

 

そのことをはっきりと自覚しています。

 

自分で「変えよう」と思って変えてきました。

 

これは「人生の大決断」をしたわけではありません。

 

本当にくだらない位にどうでもいいようなことを

「変えよう」と決めて「変える」経験を積み重ねてきただけです。

 

誰にでも出来るようなことを積み重ねて来ただけです。

 

例えば、

 

落ちてるゴミに気がついたら拾う

朝出かける時に最初に出会った人には自分から挨拶する

PCの画面を見るときは意識して笑顔を作る

 

なんてことをしてました。

 

これ以外にも、

 

ふと気がついて、

こうした方がいいかなと思ったことを

すぐにやってみる

 

というようなことをしてきました。

 

特別な才能やスキルがないとできないようなことではないです。

 

こうしたことを続けてるうちに、

自分が変わってきたことを感じています。

 

だから、

 

「誰でも自分で自分自身を変えられる」

 

ということを確信しています。

 

大人になったら性格は変わらない、とか

身についてしまった癖は変えられない、とか

以前は思っていました。

 

しかし、変えられます。

 

本当に本質的な部分は変わらないかもしれません。

 

しかし、表に現れる「行動」は変えることはできます。

その「行動」を続けていると、それがその人を形作っていきます。

 

習慣が変わるわけです。

これは、誰でもできる、と確信しています。

 

誰でも

いくつになっても

どのような状況からでも

自分のなりたい姿に変わっていける

 

ということを確信しています。

 

「自分で自分を変えることができた」という経験が

「他人も変われるんだ」と信じる事をもたらしてくれました。

 

「他人を信じる自分になろう」

と変わった訳ではありません。

 

そんなことと関係なく

 

「自分自身が本当に変わった」

 

と感じられる経験が、

 

「他人も変わる事ができるはずだ」

 

といつのまにか思えるようにしてくれました。

 

自分は変われないけど、他人には変化を望むという態度は

本心のところでは、相手が変われるということを信じていないかもしれません。

 

自分が変われたからこそ、他人のことも信じられる。

 

他人の変化や成長を本当に望むのであれば、

自らも常に変化することを選択し実践していることが大事なのかもしれません。

 

今日もここまでお読みいただきありがとうございます。

  

では、また。

 

毎朝の思考習慣:今日のご機嫌宣言!「勇気!」

【今日のご機嫌宣言!】(2019.9.12

 

自分の機嫌は自分でとる!!

今日は「勇気!」。

 

「勇気!」と考える。

 

やることはわかっているのに動けない。

不安を感じて躊躇してしまう。

 

そんな時、単純に「勇気!」と考えてみる。

 

「勇気を出そう」というより、ただ「勇気!」。

 

動けないのは、ちょっと勇気が足りていないだけ。

 

出来ない自分を責めるより、

やろうとした自分を認めてあげよう。

 

自分で自分を勇気づけよう。

 

大丈夫、今ある自分を認めてあげよう。

 

鏡に向かって微笑みかける。

 

いつでも自分は自分の味方。

 

自分の背中を押してあげよう。

 

「勇気!」と思い浮かべるだけで

ちょっと「勇気!」が湧いてくる。

 

今日もごきげんな一日を!!