「習慣化」でうまくいく〜二つの「トトノエル」の実践

何事でもうまくいくための「習慣」を身につけるために、私が日々実践していることを中心にお伝えします。

「ほめる」の勘違い

【「ほめる」の勘違い】

 

「ほめる」ことが大事だと良くいわれます。

 

「ほめる」ことによって

相手は「やる気」が出てくる。

 

相手の力を引き出し伸ばすためには

「ほめる」ことが必要だ。

 

そんなことが言われていたりします。

 

確かに「ほめられる」と嬉しいですし、

それにより「やろう」という

気分にもなりやすいです。

 

「ほめる」ことで

育成や指導に関する問題は

全て解決してしまうように

錯覚してしまいます。

 

そう、錯覚です。

 

「ほめる」ことは

必ずしも上手くいかない場合も多いです。

 

人を「ほめる」目的は何でしょうか?

 

相手に成長してもらうため。

そういう答えが多いのではないかと思います。

 

「ほめる」「ほめられる」という関係は

人として対等な関係でしょうか?

 

無意識のうちに「上下」「優劣」の関係に

なっていないでしょうか?

 

上司と部下、先輩と後輩、指導者と選手、

更に言えば、親子という関係であっても

そこに役割の違いはあっても

「人」としては対等な関係なはずです。

 

いやいや、

でも自分が出来ていることが

相手は出来ていないんだから、

「上下」や「優劣」はあるでしょ。

対等な関係なんで奇麗事じゃないの。。

 

そんな風に感じますか?

 

そう、おっしゃる通りに

「上下」や「優劣」はあります。

 

でも、それは「行動」のレベルであって

人そのもの「存在」のレベルでは

「上下」も「優劣」もない

というのが私の考え方です。

 

無意識のうちにでも「上下」「優劣」

の関係で相手を捉えていると

 

「上の者が下の者を」

「優れている者が劣っている者を」

 

「操ろう」としてしまいます。

 

相手を

「意志を持ち、判断能力のある人間」

としてではなく、

「指示を与えないと動かない機械やロボット」

のように扱っているのと変わりません。

 

表面的には「ほめる」という行動で

相手を尊重しているように見えていますが、

実は、本当に相手を尊重しているのでしょうか?

 

そもそも「ほめる」というのは

何らかの価値観があってのことです。

 

「ほめる」ということはその価値観を

相手に押しつけているようなものです。

 

平たく言えば、

自分の思い通りにしようとしている

ということです。

 

「ほめる」ということはこうしたことが

裏側に潜んでいるかもしれない。

 

「ほめている」のに、

 

相手とうまくいっていない

相手が思うように動いてくれない

相手が成長していない

 

なんて感じることがあったとしたら、

 

「相手を本当に尊重しているだろうか」

「上下・優劣の関係で接していないだろうか」

 

そんなことを振り返ってみることも必要です。

 

今日もここまでお読みいただきありがとうございます。

  

では、また。