「習慣化」でうまくいく〜二つの「トトノエル」の実践

何事でもうまくいくための「習慣」を身につけるために、私が日々実践していることを中心にお伝えします。

表面的な言動だけでは決められない

【表面的な言動だけでは決められない】

 

さて、昨日は相手に対して

 

厳しくしてはいけないのでしょうか?

優しいことが本当に良いのでしょうか?

 

という問いかけをさせてもらいました。

 

メッセージをいただいた方、ありがとうございます。

 

どちらかと言うと、

 

「厳しさ」に対して否定的な捉え方が多かった

 

ようです。

 

では、私はどんな事を考えているかとう言うと、

 

「どっちでもいい」

 

です。

 

いい加減な言い方に聞こえたら、すみません。

 

もうちょっと丁寧に言うと

 

「一概には決められない」

 

という事です。

 

当たり前すぎる答えですみません。

 

しかし、こう言うしかないように感じています。

 

例えば、「ハラスメント」に関しても

同じような言動をとっていても

「ハラスメント」と言われる人もいれば

「ハラスメント」と言われない人もいます。

 

表面的な行動(言動)だけで良し悪しは決められないです。

 

「成長」という事を考えた場合、

「成長」する際には、負荷(ストレス)も必要です。

 

負荷(ストレス)、つまり、厳しい状況の中で

人は「成長」することもあります。

 

「出来ないこと」を「出来る」ようにしようとすると

簡単に出来ないことであれば、当然、負荷(ストレス)がかかります。

 

この厳しい状況を乗り越えないと「成長」はありません。

でも「厳しい」のはいけない「優しくしなければ、、」と思い

「出来なくてもいいよ」とそのままにしたらどうなるでしょう。

 

結局、その人はいつまでも「成長」しないままです。

 

一概に「厳しさ」を全て否定してしまうことは出来ません。

 

表に現れている行動(言動)が厳しいものであったとしても

それが全て「ダメだ」とは言い切れません。

 

しかし、明らかにそれは「ダメだ」と思えるものもあります。

 

これらの違いは何なのでしょうか?

 

それは表面的な「行動」(言動)の違いではありません。

 

昨日の記事を書く際に、改めて「ハラスメントとは」という事を

googleで検索してみました。

 

その中であるサイトにこんなことが書いてありました。

 

「ハラスメントとは、

 人間としての尊厳を侵害する行為であり、

 人に対する思いやりと敬意を欠いた行為です」

 

この中で「思いやりと敬意を欠いた」の部分が大事だと私は思っています。

 

「思いやり」だけでなく

「敬意」まであるかどうか。

 

「思いやり」は大事な要素ですが、

この「思いやり」は気をつけないと

優劣の関係の中で一方的なものになりがちです。

 

強い立場の方が弱い方を思いやる。

 

表面的には優しい接し方をしていても

無意識のうちに相手を見下していないか?

 

相手は自分より下の存在だから

上の立場の自分が何とかしてやらなければいけない

と思って、色々と手を出しすぎていないか?

 

「敬意」が欠けているとこのようなことになりかねません。

 

一方、「敬意」も優劣の関係の中では

一方的なものになりがちです。

 

下の立場の人が上の人のことを優れた存在だと

崇め奉るようなことになってしまう。

 

上も下が思っているほど完璧ではないですし、

悩みや問題を抱えています。

 

そういうことをわかろうとせずに、

一方的に依存してしまう。

 

こんなことになってしまいます。

 

「思いやりと敬意を持って接する」とは

 

「相手を「人」として認めて接しているか」

 

ということになります。

 

自分も「人」なら相手も「人」です。

自分が不完全な「人」であると同じように

相手も不完全な「人」です。

 

「人」としての優劣がある訳ではありません。

 

その事を意識した上で、相手に接しているかどうかの違いは大きいです。

 

表面的な言動だけでなく、

そもそも相手をどのような存在として認めているか。

 

このことを見直さない限り、良好な関係は築けません。

 

では、今日はこの辺で。

 

今日もここまでお読みいただきありがとうございます。

  

では、また。