「習慣化」でうまくいく〜二つの「トトノエル」の実践

何事でもうまくいくための「習慣」を身につけるために、私が日々実践していることを中心にお伝えします。

大国を治むるは小鮮を烹るが如し

「たいこくをおさむるはしょうせんをにるがごとし」と読みます。
「小鮮」は小魚、「烹る」は「煮る」です。
 
小魚を煮る際に引っかき廻したら頭も尾も皆とれてしまうように、
大国を治めるには形をくずさぬように無為自然に治めるほうがよいという意味です。
 
私の好きな「老子」の中に出てきます。
 
寛容を旨としてこまごまと細部に渡って干渉せぬこと。
細部に渡って干渉すると有為に過ぎて治まるものも治まらぬようになってしまう。
故に力や権力によって他を圧することなく、自ずから感じて帰するように導くことをいう。
これは帝道・王道に通じる。

 
なんて解説もあったりします。
 
「気づかせよう」ではなくて「気づく機会を邪魔しない」に通じることです。
 
「気づく機会を邪魔しない」とは結局どうすればいいのかというと
 
「放っておく」
 
ということです。
 
「コントロールしない」
「コントロールしようとしない」
 
ということです。
 
え、、じゃあ自分はいらなじゃないか!!?、
指導的な立場にある人は、こう感じるかもしれませんね。
 
はい、いりません。
無意識にでも相手を自分の思う通りにしようと思っている人なら
「気づき」にとっては邪魔な存在でしかありません。
 
一応言っておきますが、「指導者」が要らないと言っているわけではありません

 
相手の「気づき」を導きたいのなら
他者による「コントロール」は不要だ、ということです。
 
では、何も関わらず無関係でいるのがいいのか?
 
これはちょっと違います。
 
小魚を煮る時も、必要なら小魚の鱗を取り下処理をして、
煮汁の味を調えた後で火にかけます。
火にかけた後は過度に手を入れずかき回さずにじっくり待つだけです。
 
ちゃんと美味しくできるように調えてから、後は任せているのです。
 
つまり「気づき」を望むのであれば、
「気づき」が生じやすくなるように準備をする必要があります。
 
「トトノエル」ことが必要です。
 
要らないもの要るものをを整えて、必要な状態に調える。
 
環境やその相手の心の状態を乱さないようにする。
 
後は、その状態が維持されているかどうか、を注意して
「見守る」だけです。
 
もし、状態が乱れるようなことがあれば、
状態をきちんとするために何らかの手立てを講じます。
ただ、実感としてはこの場合でも少し我慢して見守っていると
自然と自分たちでいい形になっていくことが多いです。
 
過度の緊張、競争心・敵対心、不安等々は「気づき」を邪魔します。
そうしたものを可能な限り取り去って、
「安心」と「安全」を感じられる「場」を作ることで
「人」はその力を発揮しだします。
本来持っている「気づき」の力も機能しだします。
 
「気づき機会を邪魔しない」ためには
「状態を整え(調え)て、後は見守る」ことなのです。

 

今日もここまでお読みいただきありがとうございます。

 

では、また。