「習慣化」でうまくいく〜二つの「トトノエル」の実践

何事でもうまくいくための「習慣」を身につけるために、私が日々実践していることを中心にお伝えします。

毎朝の思考習慣:今日のご機嫌宣言!「また始める」

【今日のご機嫌宣言!】(2019.7.11

 

自分の機嫌は自分でとる!!

今日は「また始める」。

 

「また始める」と考える。

 

継続は力なり、、、確かにその通り。

 

では、

継続しなかったら、価値がない?

 

そんなことはない!

 

途中がどうであろうと、最後にたどりつけさえすればいい。

 

途切れたら、また始める。

 

それだけのこと。

 

何があっても、また次に進むだけ。

 

苦しかったら、途切れてもいい。

 

そして、また、始めればいい。

 

止まったら、また、動く。

 

動きやすい自分でいるだけ。

 

いつでも諦めるのは「自分」。

 

諦めないのも「自分」。

 

どっちの「自分」になりたい?

 

どちらになるかは、、、自分で決めよう!

 

今日もごきげんな一日を!!

 

選択肢は多ければいいのか?

【選択肢は多ければいいのか?】

 

正しい答えを出さなければいけない、

と思い込んでいると

選択肢を増やします。

 

いろんな可能性を考えて、

複数の選択肢を用意して、

その中から最も正解に近いと思えるものを選ぼうとします。

 

確かに、それも必要なことだと思います。

 

では、選択肢が多いことが正解を選ぶことに繋がるか

 

というと必ずしもそうは言えません。

 

もちろん、選択肢が多くあればあるほど

 

正解がその中にある確率は高まる

 

のは間違いないでしょう。

 

しかし、この考え方はそもそもの前提が思い違いをしているかもしれません。

 

その前提とは

 

ただ一つに正解しかない

 

という思い込みです。

 

正解が一つしかなければ、

 

その一つが含まれるように選択肢を増やした方が良いです。

 

ところが、現実を振り返ってみると

 

結果的に、複数の道が正解になっていることも多いです。

 

だとしたら、選択肢を増やそうとしなくてもいいかもしれません。

 

実際、一見間違った選択をしたように思えても、

その後の行動次第で結果は変わってきます。

 

つまり、一手間違えたからといって、最終的な結果はなんとでもなることが多いです。

 

そう思うと、

 

選択肢が多いから良い

 

とは一概に言えません。

 

実際に、選択肢が増えれば増えるほど、

 

人は自分の決断に対して満足感が低くなる

 

なんてことも言われています。

 

ただ闇雲にいろんな可能性を考えて選択肢を増やし続けるより

今ある中から、まずは決断して何かをやってみる

 

ことの方が早く成果につながるものです。

 

選択肢が増えれば増えるほど、人は悩みます。

 

何かを決断し選択したとしても、

 

それで本当に良いだろうか

別の選択肢の方が良かったんではないだろうか

 

そんな迷いやモヤモヤが出てくるものです。

 

そして、一度決めたことに集中してただ実行すればいいだけなのに

集中しきれずに、どこか力を出しきれない状態でいます。

 

そんな中途半端な状態で本気の力は発揮できません。

 

本気の力が発揮できないから、結果的に力はあっても結果が伴いません。

 

そんなことが起きているかもしれません。

 

選択肢を増やさない

数少ない選択肢から、とにかくまず選んでやってみる

 

こんな姿勢や行動の方が結果を早く出せることも多いものです。

 

今日もここまでお読みいただきありがとうございます。

  

では、また。

 

毎朝の思考習慣:今日のご機嫌宣言!「すぐやめる!」

【今日のご機嫌宣言!】(2019.7.10

 

自分の機嫌は自分でとる!!

今日は「すぐやめる!」。

 

「すぐやめる」と考える。

 

やってはみたものの、

ちょっと違ったかもしれないと気づく。

 

これは違ったかも、

方向がずれてるな、

思った通りではないな、

 

と気づいたら、すぐやめる。

 

「やめる」という決断を

ぐずぐずと先延ばしにしない。

 タイミングを逃さない。

 

一瞬でも遅れると、

やり続ける理由を脳が勝手に考え始める。

 

そうしてズルズル続けてしまう。

 

まず、やめる。

 

そして、次の選択をする。

 

惰性で動かない。

 

流されずに即決断!

 

不必要なものは切る!

 

スッキリ、爽やかな気分。

 

今日もごきげんな一日を!!

 

「基準」を変えてみる

【「基準」を変えてみる】

 

自分の基準を変えると、

出来事の見え方や感じ方が変わります。

 

事実が変わるわけではないのに、

自分の受け取り方や捉え方は変わります。

 

例えば、テストの点数が60点だったとします。

今まで80点以上とっていたとしたら、

 

今回のテストの成績は良くなかった

 

とがっかりすることでしょう。

 

しかし、

クラス全員が50点以下の点数しかとっていなかったら

どう感じるでしょうか?

 

先ほどのがっかりはかなり薄まるはずです。

結構頑張れたな、なんて思えるかもしれません。

 

点数が60点だという事実は一緒です。

 

基準が80点が当たり前と思っていたら、

いい点数ではありません。

 

しかし、基準が50点なら、

これはいい点数になります。

 

昨日は「意味づけ」のことを書きましたが、

「意味づけ」の裏にはこうした自分なりの「基準」が潜んでいます。

 

私たちは多くのことを、

 

ありのままの「事実」として捉えているのではなく、

自分の「基準」による「評価」「解釈」を通して捉えています。

 

「基準」が違えば、当然「評価」「解釈」も変わってきます。

 

しかし、この「基準」について私たちはあまり意識していません。

 

無意識に自分なりの「基準」に従って「評価」「解釈」「判断」しています。

 

無意識だから気づいていません。

 

そして、それが自分だけの「基準」だということに気づかないと

周囲の人も全て自分と同じ「基準」に従っていると勘違いをしてしまいます。

 

「普通は、、、」なんて言葉を簡単に使っているようなら要注意です。

 

自分の「基準」でしかないものを、

全世界共通の「基準」であるかのように錯覚しています

 

自分の「基準」でしかないものを

絶対的に正しい「基準」だと思い込んでいるかもしれません。

 

自分の「基準」が正しいのだから、

それとは違う「基準」は受け入れられません。

 

そうして、自分と違う意見を言う人と衝突します。

自分が正しいということを相手に納得させようとして対立します。

 

一方が正しくてもう一方は間違っている訳ではありません。

ただそれぞれの「基準」が違っているだけなのです。

 

「間違い」ではなく「違い」があるだけなんです。

 

自分に自分なりの「基準」があるように

他人にはその人なりの別の「基準」があるものです。

 

お互いその「基準」を明確にせず、すり合わせないまま、

それぞれの「基準」に従った結果としての「判断」や「意見」を戦わせても

いつまでたっても納得できないままです。

 

「基準」はそれぞれ違うものだし、

それはそれぞれには意味あってそうした「基準」があるものです。

 

そのことを理解した上で相手との関わりを考えることが

「敬意」を持って相手と接することにつながります。

 

相手が大事にしているものを疎かに扱わない

 

つまり、相手の「基準」を否定するのではなく

それに理解を示すことが、

相手への「敬意」にも繋がっています。

 

自分の「基準」だけにとらわれ続けるのではなく、

自分とは違う「基準」も受け入れてみる。

自分の「基準」を少し変えてみる。

 

そのことで、違ったものが見えてきます。

 

新たな可能性や何かの解決策がそこから見えてくることもあるものです。

 

今日もここまでお読みいただきありがとうございます。

  

では、また。

 

毎朝の思考習慣:今日のご機嫌宣言!「すぐやる!」

【今日のご機嫌宣言!】(2019.7.9

 

自分の機嫌は自分でとる!!

今日は「すぐやる!」。

 

「すぐやる!」と考える。

 

気づいたら、すぐやる。

 

ぐずぐずと後回しにしない。

 

タイミングを逃さない。

 

一瞬でも遅れると、やらない理由を考え出してしまう。

 

まず、動く。

 

そのために「動ける自分」を準備しておく。

 

さっ!と動く。

 

さっぱり、すっきり、気分がいい。

 

今日は「すぐやる!!」。

 

今日もごきげんな一日を!!

 

「成功」も「失敗」も事実ではない

【「成功」も「失敗」も事実ではない】

 

「成功」も「失敗」も単なる「解釈」の一つです。

 

ある出来事に対して

 

望んだようになっていれば「成功」

そうでなければ「失敗」

 

と言っているだけのことです。

 

事実としてはただ一つの事実があるだけで、

それに対して「成功」とか「失敗」など

自分が何らかの基準で解釈しているだけのことです。

 

その「解釈」=「事実に対する自分の意味付け」から解放されれば

「成功」も「失敗」も関係なくなります。

 

「成功」=いいこと

「失敗」=ダメなこと

 

と無意識に私たちは思い込みすぎていないでしょうか。

 

「ダメなこと」だから、そうなりたくないです。

「ダメなこと」だから、自分のせいではないと思いたくなります。

「ダメなこと」だから、誤魔化したくなります。

「ダメなこと」だから、隠したくなります。

 

でも「ダメなこと」という意味から解放されていれば、

そんなことどうでもいいことです。

ただ「そういう事実があった」というだけ。

 

自分が望んでいたこととは違った結果が出た。

それを受けて次はどのようにしていくか、

を考えて実行していけばいいだけ。

 

「ダメなこと」に囚われて、

いつまでも後悔したり、

自分を責めたりしている必要はありません。

 

違ったら修正していけば良いだけです。

 

「解釈」にとらわれ、そこから離れられないと、

自分の思考や行動の選択肢を狭めてしまいます。

 

人は出来事に対して、

無意識のうちに「意味づけ」します。

 

自分なりの「意味」を勝手につけてしまいます。

 

この「意味づけ」をしているということに気がつかないと

出来事(正確には、その出来事につけた意味)に気持ちが振り回されてしまいます。

 

出来事に気持ちが振り回されている状況こそ、

 

「心が乱れている」

 

状況です。

 

この状況では、決して活動の質は上がりません。

 

私も心が乱れます。

また「失敗」という意味づけにとらわれます。

 

だからこそ、心を整えるために

 

「成功」も「失敗」もない

「失敗」はより良くするためのデータにすぎない

 

こんなことを時々思い出し、

自分の心を整えています。

 

今日もここまでお読みいただきありがとうございます。

  

では、また。

 

毎朝の思考習慣:今日のご機嫌宣言!「やくに徹する」

【今日のご機嫌宣言!】(2019.7.8

 

自分の機嫌は自分でとる!!

今日は「役に徹する」。

 

「役に徹する」と考える。

 

目の前の役割に徹しよう。

 

自分の望む望まないはひとまず脇に置いて

目の前のことをやりきろう 。

 

今この瞬間に与えられた役割をまっとうしよう。

 

好きとか嫌い、どちらでもいい。

 

無理に好きにならなくていい。

 

ただ、やり切ろう。

 

やったら何かが見えてくる。

 

やり切ったら何かが変わってくる。

 

役に徹して、やりきる自分。

 

そんな自分も格好良い!

 

今日もごきげんな一日を!!