「習慣化」でうまくいく〜二つの「トトノエル」の実践

何事でもうまくいくための「習慣」を身につけるために、私が日々実践していることを中心にお伝えします。

「基準」を変えてみる

【「基準」を変えてみる】

 

自分の基準を変えると、

出来事の見え方や感じ方が変わります。

 

事実が変わるわけではないのに、

自分の受け取り方や捉え方は変わります。

 

例えば、テストの点数が60点だったとします。

今まで80点以上とっていたとしたら、

 

今回のテストの成績は良くなかった

 

とがっかりすることでしょう。

 

しかし、

クラス全員が50点以下の点数しかとっていなかったら

どう感じるでしょうか?

 

先ほどのがっかりはかなり薄まるはずです。

結構頑張れたな、なんて思えるかもしれません。

 

点数が60点だという事実は一緒です。

 

基準が80点が当たり前と思っていたら、

いい点数ではありません。

 

しかし、基準が50点なら、

これはいい点数になります。

 

昨日は「意味づけ」のことを書きましたが、

「意味づけ」の裏にはこうした自分なりの「基準」が潜んでいます。

 

私たちは多くのことを、

 

ありのままの「事実」として捉えているのではなく、

自分の「基準」による「評価」「解釈」を通して捉えています。

 

「基準」が違えば、当然「評価」「解釈」も変わってきます。

 

しかし、この「基準」について私たちはあまり意識していません。

 

無意識に自分なりの「基準」に従って「評価」「解釈」「判断」しています。

 

無意識だから気づいていません。

 

そして、それが自分だけの「基準」だということに気づかないと

周囲の人も全て自分と同じ「基準」に従っていると勘違いをしてしまいます。

 

「普通は、、、」なんて言葉を簡単に使っているようなら要注意です。

 

自分の「基準」でしかないものを、

全世界共通の「基準」であるかのように錯覚しています

 

自分の「基準」でしかないものを

絶対的に正しい「基準」だと思い込んでいるかもしれません。

 

自分の「基準」が正しいのだから、

それとは違う「基準」は受け入れられません。

 

そうして、自分と違う意見を言う人と衝突します。

自分が正しいということを相手に納得させようとして対立します。

 

一方が正しくてもう一方は間違っている訳ではありません。

ただそれぞれの「基準」が違っているだけなのです。

 

「間違い」ではなく「違い」があるだけなんです。

 

自分に自分なりの「基準」があるように

他人にはその人なりの別の「基準」があるものです。

 

お互いその「基準」を明確にせず、すり合わせないまま、

それぞれの「基準」に従った結果としての「判断」や「意見」を戦わせても

いつまでたっても納得できないままです。

 

「基準」はそれぞれ違うものだし、

それはそれぞれには意味あってそうした「基準」があるものです。

 

そのことを理解した上で相手との関わりを考えることが

「敬意」を持って相手と接することにつながります。

 

相手が大事にしているものを疎かに扱わない

 

つまり、相手の「基準」を否定するのではなく

それに理解を示すことが、

相手への「敬意」にも繋がっています。

 

自分の「基準」だけにとらわれ続けるのではなく、

自分とは違う「基準」も受け入れてみる。

自分の「基準」を少し変えてみる。

 

そのことで、違ったものが見えてきます。

 

新たな可能性や何かの解決策がそこから見えてくることもあるものです。

 

今日もここまでお読みいただきありがとうございます。

  

では、また。