「習慣化」でうまくいく〜二つの「トトノエル」の実践

何事でもうまくいくための「習慣」を身につけるために、私が日々実践していることを中心にお伝えします。

「努力」と「我慢」

何かを手に入れるため、

何かを成し遂げるため、

成長するため、、、

 

簡単にはいかないことが多いです。

 

だから必要なのは「努力」です。

 

ほとんどの人がそれはわかっているはずです。

 

しかし「努力」が続けられないことも多いです。

途中で諦めてしまうこともよくあります。

 

そんな経験があったりすると、

「努力」すること自体をしなくなることもあります。

 

それとは違って、大変な「努力」を重ねて成果を出した経験もあるかもしれません。

 

では、同じような「努力」が今から必要だなんて思うと、

尻込みしてしまうこともあったりします。

 

私自身「努力」することが得意でないと思っています。

(だから成功していないんだ、なんて思いましたか(笑))

 

「努力」すればいいのに、なぜか「努力」を避けたい気持ちが出てくる、、、

 

一体、なぜなんでしょう?

 

性格の問題?

根性の有無?

 

確かにそんなこともあるかもしれませんが、

もしかすると「努力」という言葉を別の意味で捉えているかもしれません。

 

それは何か?

 

「我慢」です。

 

「努力」に対していまひとついいイメージを持てない時、

よく考えてみたら「努力」=「我慢」と捉えていないでしょうか。

 

「努力する」とは「我慢する」ことなんでしょうか?

「我慢している」ことが「努力している」ことなのでしょうか?

 

やはり、ちょっと違う気がします。

 

私自身が感じている1番の違いは

 

「自分で決めたことかどうか」

 

ではないかと思っています。

 

私たちの多くは、

小さい頃から好きなことだけしてきた

ということは少ないです。

 

親、先生、指導者、、、自分より上の立場の人間から

色々なことを制約・制限されていたりします。

 

これをしろ、あれをしろ

これはするな、あれはするな、、、

 

自分で選べないままに、行動を強いられた経験が多くあります。

 

本当はこうしたいのに「我慢」して別のことをしなければいけない。

例えば、遊びたいのに勉強しなければいけない、、、

 

我慢してやっているだけのことは、あまり成果に結びつきません。

 

一方、本当に自分がやりたいから、自分でもっと勉強する。

授業で聞いた歴史が面白くて、もっと知りたくて自分で調べる、、、

 

明らかに「努力」しています。

自分で主体的に取り組んでいるから、成果も上がりやすいです。

 

「もっと努力しろ」

「もっと努力しないとダメだ!」

 

こんな風に言われている時の「努力」は「我慢」を強いられているように感じませんか。

 

「努力」は、主体的な行動。

「我慢」は、受動的に強いられた行動。

 

こんな風に考えています。

 

本当の「努力」は主体的な行動であるからこそ、

努力している本人は「努力している」という感覚すら感じていません。

 

本人にとっては、

 

「自分がやりたいことをしている」

「自分に必要なことをやっている」

 

だけのことなのです。

 

自分で「自分は努力している」と感じている時、

それは本当の努力ではないかもしれません。

 

今日もここまでお読みいただきありがとうございます。

 

では、また。