「同情」は「共感」とは違う
【「同情」は「共感」とは違う】
作家・演出家である鴻上尚史さんが
鴻上尚史のほがらか人生相談~息苦しい『世間』を楽に生きる処方箋
という人生相談をされています。
たまたまネットで見かけて、読みました。
「友達から絶交された」という女性からの相談でした。
家庭環境に恵まれない友人を可哀想に思い、
高校時代から気にかけて声をかけたり相談に乗ってきたそうですが
大学生・社会人となるに従いだんだんと疎遠になり、
久しぶりに連絡して会った後で
「あなたとは絶好します。もう二度と私に関わらないで」
と告げられたそうです。
その相談に応える中で、
「無意識の優越感」
ということを鴻上尚史さんが指摘していました。
一部変えたものを引用します。
・・「不幸な人がいたら、話を聞いてあげて、一緒に解決策を考える」ということを、〇〇さんは当り前だと思っていますか?
でも、それは、不幸な人に「接する人」側から見た当り前で、不幸な人側の当り前ではない可能性が高いのです。「不幸な人は、自分を不幸な人だと思われることが嫌で、一緒に解決策を考えて欲しいなんて求めてない」なんて場合もありますからね。
・・ もし、「独りよがりのアドバイス」というものがあるとすると、それは、相手の事情を想像しないまま、自分の当り前だけを前提にするアドバイスのことです。
・・でも、「かわいそう。何かしてあげたい」と思うことは、とても気をつけないと相手を無意識に見下すことになるのです。
・・ 相手を「かわいそう」と思った段階で、対等な人間関係は結べないと思います。「あなたのためにしている」と思った場合も同じです。
ここまで引用です。
私は「上下の関係」と「横の関係」ということをお伝えしています。
「上下の関係」は、
上が下を支配している関係、
下が上に服従している関係です。
家庭でも学校でも会社でも、
多くの関係性がこの「上下の関係」になっています。
「横の関係」は、まさに対等な関係です。
役割の違いはあるけれど、
人としての上下はありません。
どちらが良いとか悪いとかいうつもりはありません。
ただ「横の関係」がある方が、人も組織も活性化しやすいです。
人間関係的にも良い人間関係は、何らかの「横の関係性」ができています。
そのベースには常に相手に対する「敬意」があります。
一方「上下の関係」では、
「優越感」ないし「劣等感」的なものが常に存在します。
鴻上さんの書かれているものを読んで、
「可哀想」という感情は
「(無意識の)優越感」から出てくるもの
なのか、と思いました。
よく考えてみると
「可哀想」
は相手に「共感」していることではないです。
「共感」なら
「悲しいよね」
「辛いよね」
「きついよね」
といった感じ方になるはずです。
「可哀想」は明らかに違います。
「同情」と「共感」とは違う
とも言えますね。
相手との良好な関係を築くためにも
「共感」する
ことの重要性を改めて感じています。
今日もここまでお読みいただきありがとうございます。
では、また。