「習慣化」でうまくいく〜二つの「トトノエル」の実践

何事でもうまくいくための「習慣」を身につけるために、私が日々実践していることを中心にお伝えします。

人を「認める」ということ

【人を「認める」ということ】

 

相手のことを人として「認める」というのは

 

相手の「行動」を評価・判断して、良し悪しをつける

 

のではなく

 

相手の「存在」自体をただ認める

 

ということです。

 

これって頭では分かったとしても

本当に腹の底から納得できるかというと

かなり難しいかもしれません。

 

私たちは存在を無条件に認められるという経験を

意外としていないかもしれません。

 

生まれた瞬間は、

無条件に生まれたことだけで喜んでもらえていました。

 

しかし、しばらくすると

 

他の子供たちと比べられ、

評価されるようなことを経験しているかもしれません。

 

物心ついた頃には

行動や行為の良し悪しを評価されているのが当たり前で

無条件に存在自体を認められている(受け入れられている)

という事が少ないかもしれません。

 

人は、自分が経験してきたように

他人に対しても行動してしまいます。

 

だから、他人に対して

 

そのままの相手を認める(受け入れる)という事が下手なのかもしれません。

 

相手を認めようと思っても

 

能力が低い、ダメで、どうしようも無い、、、

 

なんて感じてしまう人もいるように思います。

 

そんな相手を「認める」といっても難しいです。

 

実際に、私はそう思っていました。

 

この考え方は無意識に人に優劣をつけています。

 

できれば自分は「優秀」な方にいたいです。

 

しかし、「優劣」をつけようとすれば

自分より優れた人も必ずいます。

 

自分の事を

「人より優秀だ」と思いたいのに

「人より劣っている」とも実際には感じています。

 

こうした感じ方は

 

人には生まれながらに能力の差があって

それは埋めることの出来ないものだ

 

と思っているように思えます。

 

確かに、生まれながらの差はあります。

 

しかし、それはおそらく普通に思われているほど

そんなに大きくないです。

 

自分で思っているほど自分は力がない訳ではありません。

しかし、自分で自分の力の発揮を抑制してしまっていることも多いです。

 

人としての自分の能力や可能性を

信じ切れていないんです。

 

自分がまだ発揮しきれていない力があるということ

つまり、自分の可能性を信じられなければ、

他人の可能性も信じられる訳がありません。

 

自分に「OK」を出せなければ

相手に「OK」は出せないんです。

 

自分のことを認められない限り、

相手を認めることも出来ません。

 

相手を「認める」ことができるかどうかは

 

相手に何かの原因があるのではなく

実は自分自身の問題なのです。

 

まだまだ至らないことも、できないことも多い自分です。

しかし、そんな自分に対しても

 

「今は今でよし!」

 

と認める事ができるようになってから

自分や周囲に良い変化が起き始めたと感じています。

 

今日もここまでお読みいただきありがとうございます。

  

では、また。