「習慣化」でうまくいく〜二つの「トトノエル」の実践

何事でもうまくいくための「習慣」を身につけるために、私が日々実践していることを中心にお伝えします。

「評価」に対する態度

【「評価」に対する態度】

 

私たちは常に「評価」されています。

色々なことを評価されています。

 

学校のテストや仕事の出来不出来などのことだけではありません。

 

行動の全てが、それに関わる人から何らかの評価を受けています。

 

面と向かって、何か言われる訳ではなくても

心の中で行為の「良し悪し」を判断しています。

 

どうやら私たちの脳は

 

何かと何かを比べて

その優劣をつけること

 

が好きなようです。

 

恐らく、本来は様々な出来事の「違い」を認識しているだけなのですが

それを自分の価値観などから「良し悪し」「優劣」で区別してしまいます。

 

さて、そうして気がついたことを相手に伝える場合があります。

 

それを伝えられた時に

素直に聞けることもありますが、

拒絶してしまうこともあります。

 

拒絶してしまう場合は、大抵こんなことを感じています。

 

「全てを知りもしないで評価しないでほしい」

 

こんな感じ方をしている時は、あまりいい気分ではないです。

 

相手に対して嫌な感情を抱いてしまいます。

 

そして、相手を「嫌な人」と決めつけてしまいます。

 

「何も知りもしないで人のことを決めつける人」

「一部のことだけで決めつける人」

 

こんな風にこちらが相手を決めつけてしまいます。

 

全体を把握せずに一部だけで判断して決めつけてしまう事は

褒められたことではありません。

 

しかし、自分の知りうる範囲のことで

自分なりに何かを評価判断する事はいけないことでしょうか。

 

決してそんな事はないです。

 

どこまでいっても、全てを知ることなどそもそも不可能です。

 

全てを知ってからでなければ

何かを評価・判断しないといけないのなら

何もできません。

 

それぞれの評価はどうしたって一面的な見方になっているかもしれないものです。

 

このことを忘れないことが重要だと思います。

 

つまり、どちらかが正しくて、

そうでない方は間違っている、

ということではないです。

 

相手からの評価を拒絶してしまう態度は、

結局「正しいか間違いか」に囚われています。

 

「自分が正しい」と思っているからこそ、

「相手が間違っている」と思い、嫌な気分になります。

 

こんな風に思って相手を責めるような気持ちになること自体、

自分も一面的にしか相手のことを見ていないかもしれない

ということに気がついていません。

 

他人から言われたこと、自分に対する批判的な言動や評価など、に対して

否定的な反応をして拒絶するような態度をとるとしたら、

 

自分もそのような相手と同じレベルでしか反応していない

 

ということかもしれません。

 

自分も相手も100%正しいわけでも100%間違っている

わけでないことを知るからこそ

謙虚に人のことを受け入れられるのだと思います。

 

自分の正しさに囚われない自分になるためには

 

「謙虚に他人のことを受け入れる」

 

という態度をとり続けることが大事なことだと感じています。

 

今日もここまでお読みいただきありがとうございます。

  

では、また。