部分で全体はわからない
【部分で全体はわからない】
これはインターネットで見つけた画像です。
実際には右側の人が左側の人を襲っている場面ですが、
手前のカメラのスクリーンには左側の人が右側の人を襲っているように見えています。
もし、このスクリーンに写っているところだけで判断してしまうと、、、
実際に起こっていることと真逆の受け取り方をしてしまいます。
おそらく、誰が見てもそう見えてしまいます。
その判断には間違いはないでしょう。
しかし、現実は違っています。
部分だけで全体はわかりません。
そんなことは当たり前のことです。
わかりきった話です。
しかし、
私たちはどれだけ全体像を捉えた上で
判断しているでしょうか?
自分のたまたま目にしたこと、聞いたこと、知ったことだけで
全てがわかったような気になっていないでしょうか?
こうに違いないと決めつけていないでしょうか?
そして、そんな言動を”何の疑いもなく”していないでしょうか?
全てをわかった上でないと何も言ってはいけない、などというつもりはありません。
そんなことになったら、誰も何も話せなくなってしまいます。
自分のわかる範囲でしか、物事はわかりません。
ただ、そのわかる範囲を広げようとしているかどうかは、おおきな違いです。
これも、常にそんな努力をしなければいけない、とまでいうつもりはありません。
そんな余裕がないことも多いと思います。
しかし、少なくとも、
自分のわかっていることはい一部分だけかもしれない
ということをわかっている必要はあるのではないでしょうか。
自分が全てを把握していて、自分の判断は絶対に間違っていない
という意識は、独善的、独裁的な姿勢に繋がります。
自分が全てわかっているわけではない。
自分の判断が常に正しいわけではない。
しかし、今できるベストを尽くし、
自分としては最善と思える決断をしている。
そのことを自覚しているからこそこそ
「謙虚」でいることが自然とできるのだと思います。
実際に出会った方々で私が憧れるのはそうした人であり、
私自身、そうなりたい、そうありたいです。
今日もここまでお読みいただきありがとうございます。
では、また。