「習慣化」でうまくいく〜二つの「トトノエル」の実践

何事でもうまくいくための「習慣」を身につけるために、私が日々実践していることを中心にお伝えします。

身体が教えてくれていた

【身体が教えてくれていた】

 

今日も一昨日、昨日に続いて昔の自分の話です。

 

私は、会社を無断欠勤したあげくに、
心の病でそのまま3ヶ月休職することになってしまいました。

 

話は少しずれますが、上の文章の最後が

「・・・なってしまいました」

と書いています。

 

これは事実ではないです。

 

事実は

「休職しました」

です。

 

特に何の違和感も感じないかもしれませんが、
この「・・・なってしまいました」という表現は
状況を「自分のこと」として表現していません。

 

ストレートに言えば「他責」な表現です。
つまり、自分の責任として状況を受け止めていないのです。

 

敢えて言えば、

自分はちゃんとやっていたのに、
何か(誰か)の所為で、
こんなことになってしまった

と言っているようなものです。

 

まさに、その当時はそんな風に感じていたように思います。

 

明確に意識していたわけではありませんが、

心の奥底では「自分は悪くない」と思い込んでいた

と今振り返ると感じます。

 

この無意識に「他責」になってしまうようなことについては
また別の機会に書こうと思います。

 

今日はそのことではなく、3ヶ月会社を休んでいる間に
私に起きた意識が切り替わるきっかけとなったことについて書きます。

 

「会社に行かなくてもいい」という状況は、
申し訳ない気持ちもありながら、
当時の自分にとってはとても気が楽なものでした。

 

冷静に考えれば「この先どうなるんだ」という不安や心配もあるはずです。

 

しかし、まず自分が感じたのは「楽になった」ということです。

 

会社には行かれません。
(会社に行こうとすると、拒絶するように体調が悪くなります)
しかし、本来身体的には元気です。
会社以外はどこへでも行けます。

 

じっと部屋にこもっていたわけでもなく、
家の用事をしたり、
当時幼稚園に通っていた娘たちのお迎えに行ったりする毎日でした。

 

意外かもしれませんが、花や野菜を育てるのも好きなので
苗を買ってきたりタネを撒いたりもしていました。

 

そんなある日のことです。

 

晴れた気持ちの良い日でした。
日課のようになっていた水やりを終え
一人で座ってぼーっと窓から外を眺めていた時です。

 

不意にこんな思い(言葉)が浮かんできました。

 

「俺は何も失っていない、、、」

 

自分が心の病であるとわかった時、
確かにホッとした気持ちもありましたが、
「これで全部おしまいだ」
という気持ちもありました。

 

今までの自分が積み上げてきたもの全てがパーになったような感覚です。
正直、今までのキャリアや評価は全て失くしたも同然です。
そのことを思うと
「全てが終わってしまった、、、ゲームオーバー」
みたいに感じてしまいます。

 

しかし、その時は全く違いました。

 

確かにそんなものはもうないかもしれないのですが、

住んでいる家も変わってなければ
家族も変わらず一緒に暮らしている。

 

目に見える範囲にあるもので、

「失ったものなど、何一つなかった」

のです。

 

それどころか、願っていたことが実現しています。

 

会社で働いていた頃に私が思っていたことは

「もっと、自由に自分の時間を使いたい」
「家でもっといろんなことがしたい」
「子供たちと一緒にいる時間を増やしたい」

といったことばかりでした。

 

これ、全部その瞬間に実現していることでした。

 

「あれ!?」

 

自分でも不思議です。
でも、実際にそうなのです。

 

何も失っていないばかりか、
願っていることが叶っているのです。

 

この「感じ方」を素直に受け取れたことが、
私にとっての大きな転機になったように思えます。

 

頭で考えだすと「そんな訳ないだろう」となってしまいます。
だから、これは「頭で考えたこと」ではないのです。

 

「身体が感じたこと(感じていること)を素直に受け容れた」

という感じでしょうか。

 

「頭で理解する」と「身体が感じとる」の違い

を初めて明確に私が意識できた時がこの時だと思います。

 

「直感は誤らない。誤るのは判断だ」

というような言葉があります。

 

「感覚」はしっかりと答えを見つけているのに
「頭(理屈)」がそれを信じずに間違える、とも言えます。

 

自分が会社を休職してしまったことを正当化するつもりはありません。
今でも、申し訳ないことをした、という気持ちは消えません。

 

しかし、そもそも私が進んでいた道は、
私が本当に望んでいる道ではなかったのかもしれません。

 

そのことを私の身体が、それこそ全身全霊をかけて、
私にわからせてくれたのが、この私の病気だったのかもしれません。

 

「頭で理解する」ことより
「身体で感じる」ことを大事にする

 

という自分のあり方へ舵を切ったのがこの時からです。

 

今日もここまでお読みいただきありがとうございます。
  
では、また。