「習慣化」でうまくいく〜二つの「トトノエル」の実践

何事でもうまくいくための「習慣」を身につけるために、私が日々実践していることを中心にお伝えします。

誰の基準に従っているのか?

【誰の基準に従っているのか?】

 

さて、昨日の続きです。

 

私は、

 

自分が強く逞しい人間

 

でなければいけない、と思い込んでいました。

 

それは、

 

「そんな自分になりたい」

 

という思いもあったのでしょうが、

 

「そんな風に周囲から思われている」

 

と思い込み、

 

「それを裏切ってはいけない」

 

と感じていました。

 

この「裏切ってはいけない」は昨日も書いたように

 

「期待を裏切るような奴」だと思われたくない

 

というのが本当の気持ちです。

 

周囲のことを気にかけているようで、それは

 

本当に相手や周囲のことを思っているのではなく

自分がどう思われるか(見られているのか)

 

が気になっているだけで、結局、自分のことしか意識していません。

 

しかし、今だからこんなことに気がつけますが、

その当時は、全くそんなことに自分では気がついていません。

 

周囲のことを気にかけて、相手のために行動しているつもりです。

 

本当に相手のために行動しているのであれば、

行動しているだけで満足感が得られます。

 

しかし、私の本心は

 

「自分がどう思われているか」

 

です。つまり、

 

「自分が認められているか」

 

が気になっています。

 

気にしていないような風を装いながらも

周囲の反応が気になります。

 

自分に対する良い反応が感じられないと

行動したことの満足感は得られません。

 

自分でコントロールできない他人の反応をあてにして

自分の活動で満足を感じようとしています。

 

もうおわかりだと思います。

 

行動しても、活動しても

満足感や充足感が全然得られません。

 

どんどんやる気が失われていきます。

仕事に行くのが億劫になってきます。

 

気持ちの問題だと自分ではわかっているつもりですが、

実際に体調も悪くなってきます。

 

そんな日がずっと続きます。

 

そしてとうとう、、、

 

私は会社を無断欠勤しました。

 

心療内科で「抑うつ性症候群」と診断され、

そのまま会社を休職しました。

 

そして、会社に戻ることなく、結局、会社を辞めました。

 

こんな私の昔話にお付き合いくださって、ありがとうございます。

 

今、なぜこの話を書いたのかというと

こうして振り返ってみた時に、気がついたことがあるからです。

 

「周囲の期待に応えよう」とすることは悪いことではありません。

 

でも、敢えて言います。

 

「その周囲の期待はあなたが望んでいるものと一致しているのか?」

 

言葉を変えましょう。

 

周囲から「期待されていること」は、

あなたが「やりたい」ことと同じなのか?

 

もし、同じだったとしても、

日々の自分を動かしているのはどっちでしょうか?

 

「期待に応えたい」のか

「自分の望みを叶えたい」のか

 

人は自分の人生しか生きられません。

 

自分の人生を「自分の基準」ではなく

「他人の基準」に従って生きていくのはしんどいものです。

 

さて、会社にいけなくなったことで、私は

 

「自分が本当に望んでいるものが何だったのか」

 

を知ることができました。

 

このことは、また明日書くことにします。

 

今日もここまでお読みいただきありがとうございます。

  

では、また。