「習慣化」でうまくいく〜二つの「トトノエル」の実践

何事でもうまくいくための「習慣」を身につけるために、私が日々実践していることを中心にお伝えします。

ルールは何のためにあるのか?

【ルールは何のためにあるのか?】

 

私たちの社会には様々なルールがあります。

 

生活に関するものや、組織や会社の運営に関するものなど

人々が集まって活動する中では、必ずと言っていいほど

「ルール」が定められていきます。

 

「ルール」は何のためにあるのか?

 

こんな質問をされたら、あなたなら何と答えますか?

 

 

試しに、Googleで「ルールはなんのためにあるのか」と検索してみました。

 

いろんなページが出てきます。

ご興味があったら試してみてください。

 

安全を保つため

秩序を維持するため

大切なものを守るため 等々

 

その通りだなと思えることが色々書いてありましたが

パッと見た感じで私が最近感じているようなことは見当たりませんでした。

 

私が最近感じているのは

 

ルールは効率化のためにある

 

のではないか、ということです。

 

「効率化」を目的として全てのルールが決められているのではないのでしょうが

結果的に全てのルールは「効率化」に寄与しています。

 

何の「効率化」かというと、

 

「思考の効率化」

 

です。

 

ここで「思考の効率化」と言っているのは

 

「いちいち考えなくていい」

 

という意味合いでのことです。

 

何のために、

何の目的で、

こうしなければいけないのか?

 

などと考えず、たった一言

 

「ルールだから」

 

で済んでしまいます。

 

「ルール」なんだから従いなさい

「ルール」なんだから守らなければいけない

そういう「ルール」になっています

 

こうした態度は「いちいち考える」事をしていません。

 

「考える」という時間を省いています。

 

自分がしていないだけでなく、

相手にも「いちいち考えないこと」を求めます。

 

求める、と言うより、強要するの方が近いかもしれません。

 

いちいち考えない方が時間的な効率は上がります。

 

だから悪いことではなさそうです。

 

しかし、

一方的にルールを押し付けられたり

ルールだからと大上段に振りかぶって来られることに

何となく嫌な気分になることも多いです。

 

正直に言えば「反発」すら感じてしまいます。

 

なぜ、そんな気持ちになるのか。

 

「効率」という価値観を無条件に押し付けられることに対して

私たちは「反発」を感じているのかもしれません。

 

「効率」だけが一番に大事なものなのではないのかもしれません。

 

「効率」が良いことがいいこと、と私たちはいつの間にか刷り込まれているかもしれません。

 

でも、何かモヤモヤした気持ちがあるとすると

自分自身が「効率」だけではない何かを大事にしたいと思っているのかもしれません。

 

そんな事に向き合って考えたいのかもしれません。

 

そんな時に「ルールだから」の一言で済まされることは

自分を否定されたように感じてしまいそうです。

 

「ルール」があることは誰しもわかっています。

しかし、素直にそれに従いたくない自分を感じる時もあったりします。

 

そんな自分にきちんと向き合い、寄り添い、受け止めてくれる人がいてくれると

謙虚に自分の事を振り返り、自分の考えが整理できるものです。

 

プロテニスプレーヤーの大阪なおみ選手が全仏オープンでの記者会見を

拒否することについての報道を見ながら、そんなことを考えていました。

 

今日はこの辺で。

 

ここまでお読みいただきありがとうございました。

 

では、また。