「習慣化」でうまくいく〜二つの「トトノエル」の実践

何事でもうまくいくための「習慣」を身につけるために、私が日々実践していることを中心にお伝えします。

「教える」ことで奪ってしまうもの

【「教える」ことで奪ってしまうもの】
 
指導ということを考えると
「教える」
ということが必要になってきます。
 
ただ少し考えてみたいことがあります。
 
指導する目的は何でしょうか?
 
色々な考え方があると思いますが、
「相手の成長」
が一番の目的だと私は考えています。
 
成長とは
 
本人が成長する
 
のであって、
 
他人が成長させるものではない
 
と思っています。
 
 
「相手を自分が成長させる」のではなく
「相手が成長する環境(機会と場)を提供する」という考え方が
「指導」においては大事だと私は思います。
 
 
「成長する」ということは
「出来なかったことが出来るようになる」
という側面があります。
 
 
「相手を成長させる」という意識でいると
 
「出来るよう」にしてやろうという気持ちが
「失敗させてはいけない」という気持ちに
 
すり替わってしまいがちです。
 
すると、とにかく何でも教えて
自分の言うとおりにさせようとしたりします。
 
確かに、これで相手は出来たかもしれません。
 
でも、身についていない事が殆どです。
 
ただ言われた事をやっただけで、
何も自分の中には残っていなかったりします。
 
何かを聞かれた時に
直ぐ解決策や解答を与えてしまうのも同じ事になります。
 
「失敗させない」ように「教えてしまう」ことは、
必ずしも相手の成長に繋がりません。
 
「失敗」から学ぶことは実に多いと思いませんか。
 
私自身振り返ってみても
「失敗」は学びのチャンスだ
と今なら思えることが多くあります。
 
「失敗」=「人生の失敗者」ではないですよね。
 
私たちは「失敗」から多くのことを学びます。
 
安易に「教える」ことで相手から奪っているもの
それは「失敗する権利」です。
 
「失敗する機会」=「成長の機会」です。
 
言葉を換えれば、
「教える」ことで
「相手の成長に繋がる機会」
を奪っています。
 
「相手の成長」を願って
「教える」ということをしたことが、
逆に「相手の成長の機会」を奪ってしまう。
 
矛盾した話です。
 
でも、実際にそういうことが起きてしまいます。
 
こうならないために大事なことは
 
「人」は成長する意欲と力を必ず持っている
 
ということを信じきれるかどうかです。
 
これを信じきれないと、
 
「本当に成長する気があるのか??」
「いつも同じようなミスばかりしやがって、、、」
 
相手にやる気がないように見えてしまいます。
 
相手にやる気がないんじゃないんです。
 
立ち向かっていくための「勇気」が足りていないんです。
 
やる気がないように見える人、
成長への意欲が感じられない人は、
今までの人生の中で人一倍「勇気をくじかれた」経験が多い人です。
 
ちょっと今日の話題からはズレてしまいました。
この事はまた別の機会に書きたいと思います。
 
とにかく
「教える」ということで「成長する機会」を奪っているかもしれない。
 
人を指導する立場の時に、心しておこうと思うことの一つです。
 
今日もここまでお読みいただきありがとうございます。
  
では、また。