教えるということは、、、
教えるということは、
こちらが差し出したものが
つらい義務ではなく
貴重な贈り物だと
感じられるようなことであるべきです。
- アインシュタイン -
いい言葉だな、と思います。
仕事柄、人に教えるということをしているだけに
この言葉は響いてきます。
教える側と教わる側の関係性によって
教える事柄が簡単に「つらい義務」になってしまいます。
どんな時にそうなりやすいかというと
教える側と教わる側が「上下の関係」になっている時に
そのようなことになりやすいです。
教える側=上
教わる側=下
です。
上は下より偉い存在、優れた存在です。
下は上より劣っています。
そんな劣った下を良くしてやるために、
上が何かを教えてやろうとなります。
こういう時に教わる事柄は、多くの場合、
下にとってはつらい義務のように感じられてしまいます。
これは上からの押し付けです。
内容的には正しいこと、適切なことであったとしても
やはり感じ方は「つらい義務」になってしまいます。
どんなに正しいことであったとしても
「押しつけられた」感覚があると
「つらい義務」のように感じられてしまいます。
受け取る側に受け取る準備ができていないと
押しつけになってしまいます。
多くの場合、上下の関係では、
上は下の状況を考えずに、
一方的な物言いをしてしまいます。
相手がどんな気持ちやどんなことが気になっているかなど気にせずに
自分の都合だけで一方的に伝えてしまいがちです。
受け取る準備が出来ていないのに、
いきなりボールを投げつけてしまうようなものです。
「準備が出来ていない」と
下=受け取る側を非難することもできます。
しかし、本当に相手のことを思ってするのであれば、
本当に相手のために必要なことを伝えるのであれば、
「相手が受け取れるようになること」
も伝える側の責任ではないでしょうか。
「準備が出来ていない」
「意識が低い」
「集中していない」、、、等々と
相手を責める前に、
どのようにしたら、相手が
「準備が出来る」か
「意識が高くなる」か
「集中する」か
を考え、自分の行動に反映させるかが大事なことです。
相手の状態が調っていて、
本当に相手に必要なものだと相手がわかっている時に、
「貴重な贈り物」として相手は受け取ってくれます。
大事なものを
「つらい義務」として課してしまうのも
「貴重な贈り物」として届けるのも
やはり自分自身のあり方の問題です。
今日もここまでお読みいただきありがとうございます。
では、また。