「習慣化」でうまくいく〜二つの「トトノエル」の実践

何事でもうまくいくための「習慣」を身につけるために、私が日々実践していることを中心にお伝えします。

「してあげよう」と思ったのに、、、

【「してあげよう」と思ったのに、、、】

 

今日は妻が福岡から東京に出てきました。

大学生の息子の試合の応援です。

4年生なので最後の試合です。

 

その試合後、千葉の私の実家に寄るつもりにしていました。

社会人になっている娘2人は埼玉県の大宮にいて泊まりはそちらのつもりですが、

折角、東京まで来ているので普段会えない私の両親にも会わせたかったから

そんな予定にしていました。

 

朝に両親にも話したら会えるのを喜んでくれていました。

 

さて、試合後、そろそろ実家に向かおうかという時に電話が入りました。

実家の母からです。

 

「今日はもう来ないでいいよ」

「随分と寒いし、遅くなって移動して疲れても悪いからもういいよ」

 

明日にはもう福岡に帰る妻のことも気遣って、そんな内容でした。

 

確かに、夕方から千葉に移動して、

それから埼玉の大宮に行くのはちょっとしんどいです。

 

正直、私自身も今回は行かなくてもいいかな、なんてちょっと思いました。

 

にも関わらず、この電話を受けた時に私が最初に感じたことは、、、

 

「折角行くつもりになっているのに、、、」

 

という少しイラっとしたような気分でした。

 

「寒いとか疲れるとか、、わかっているけど、

 こちらはそれでも行ってあげようとしているのに、、、」

「変に気を遣わなくていいのに、、」

「余計な遠慮するなあ、、、」

 

こんなことが頭の中をよぎりました。

 

と、その時に気がつきました。

 

危ない危ない、また「自己犠牲の罠」にはまるところでした。

 

相手のためを思って、何かをしてあげたい、という気持ちになります。

 

そして、実際に何かをしてあげようとします。

 

これは、相手から頼まれたことではなく、

自分が「してあげたい」だけのことです。

 

だから、本来、相手がそれをどうとろうとも相手の勝手です。

こちらがとやかくいうようなことではありません。

 

だから「してあげよう」と思ったことを

相手が受け入れてくれなかったとしても

こちらが腹をたてる必要はありません。

 

ところが、そんな時、往々にしてなんだか嫌な気分になったりします。

 

特に、自分が「多少無理して、何かをしてあげよう」なんて時には

それが顕著に現れます。

 

相手のためを思っていたはずなのに、

こちらの行為(好意)を受け取ってくれない相手を

今度は責めだします。

 

最初に感じた気持ちと、真逆のことになってしまいます。

 

これが「自己犠牲の罠」です。

 

相手に頼まれたのならまだしも、

自分で勝手に自分を犠牲にするようなことをして

それを相手の所為のように思い始めてしまいます。

 

気をつけないと、すぐにこの罠にはまってしまいます。

 

無理をするのは、自分だけでなく周囲との関係も乱してしまいがちです。

 

できることはするけど、できないことはできない。

暇な時ならいいけど、厳しい時は対応できない。

今は、ちょっと難しい。

 

そんな風に割り切って、考えることも必要です。

一人で頑張りすぎないことが、結局、調和も生み出します。

 

今日もここまでお読みいただきありがとうございます。

  

では、また。