「習慣化」でうまくいく〜二つの「トトノエル」の実践

何事でもうまくいくための「習慣」を身につけるために、私が日々実践していることを中心にお伝えします。

「頑張りどころ」を間違えない

【「頑張りどころ」を間違えない】

 

「決断疲れ」を避ける。

「意思の力」を疲弊させない。

 

これは目的ではありません。

 

「決断疲れ」を避けることの目的は何でしょうか。

 

それは、

 

「本当に必要な時」に「意思の力」を正しく発揮すること

 

だと私は考えています。

 

何にでも頑張っていると、

いざという時に頑張りが効かなくなります。

 

以前にも「頑張りどころ」に関して書いていたものがあります。

今日はそれを書くことにします。

以下、去年の8月に書いていたものを一部書き直したものです。

 

「いまここで頑張るところではない、と思ったんです」

 

ある方が話してくれました。

 

人間関係に悩み、自分の活動で成果が出し切れないでいる。

そんな中でも何とか結果を出さないといけないと思い、

嫌な相手に対しても自分を抑え、我慢して、

その辛い状況に耐えて頑張っている。

 

そんな状況にあったそうです。

 

その方は言いました。

 

「そうして頑張れば頑張るほど、状況は厳しくなっていく一方だった」

 

そんなことが続いていた中で、ある時、気がついたそうです。

 

自分が本当に力を発揮して頑張る時や場所がきっとある。

その時その場所で自分の最高の力を発揮するためには、

今の状況で無理に自分の力を使う必要はないのではないか。

 

今はその時でもその場所でもない。

 

決して「言い訳」でも「逃げ」でもなく、

実にスッキリとした表情で、

覚悟を決めたような話ぶりに

聴いている私も清々しい気持ちが感じられました。

 

私たちは全てを頑張らなければいけない、

と思い込みすぎているのかもしれません。

 

どのようなことに対しても最高の力を出し続けられることは確かに素晴らしいです。

 

しかし、そうして全てに一生懸命取り組むことは

別の問題を引き起こすかもしれません。

 

このような時に陥りがちなことが

 

「休まずに頑張る」

 

ということです。

 

一時的には効果を上げているようにも見えますが、

それは間違いなく続きません。

 

こんなことをしていては疲弊する一方です。

 

私自身、

 

常にどんな状況でも「頑張る」ことに価値がある、

 

と無条件に考えていた時期がありました。

 

しかし、それで行き詰まり、今は大分テキトーになりました。

 

でも、適当になってみてわかったことは、

適当にやっているようでも、

決してふざけている訳ではないし、

自分でも意外ですが「真剣」だったりします。

 

「頑張る」=「真剣」「真面目」ではないような気もします。

 

学校教育であれば、

5段階評価で全ての教科がオール5は素晴らしいです。

だから、そこを目指そうとします。

 

また、そのためにどんな事にでも「頑張る」ことを求められます。

 

しかし、実際の社会においてオール5は必ずしも必要ではありません。

 

「人は足りないから助け合える」(植松努さん)

 

なんて言葉もあります。

 

何かに時間を割けば、他の事に時間は割けません。

あちらを立てれば、こちらが立たず。

全てにおいて最高になることはあり得ません。

 

だからこそ、

 

これだ!というもの

ここだ!という時・場所

 

で最高の力を発揮できることが大事なはずです。

 

「頑張りどころ」を間違えてはいけません。

 

単に、自分が疲弊しているだけのような状況だとしたら、

それは、本当に自分が頑張る時や場所ではないのかもしれません。

 

今日もここまでお読みいただきありがとうございます。

  

では、また。