「習慣化」でうまくいく〜二つの「トトノエル」の実践

何事でもうまくいくための「習慣」を身につけるために、私が日々実践していることを中心にお伝えします。

ノーコントロール:「~ねばならない」を手放すと、、、

今日は、以前参加したある会合のことを書いてみます。

 

その会合では、

喋りたい人が好きなように喋るだけです。

 

周りの人はそれを聴いているだけです。

 

もちろん、それに対して

周りの人が何か話すこともありますが、

基本は聴いているだけです。

 

そこでは誰かが誰かに対して、

「こうしなければいけない」

「こうあるべきだ」

「これしかない」

のような話は一切でません。

 

司会というか進行役がいますが

それも殆ど何もしません。

 

何の縛りも強制も無い中で、

参加者が自分にまつわる悩みや問題を

自然と話しだすんです。

 

ある人は自分の職場の人間に問題があると思って

その状況を話しているうちに

「、、あ、やっぱり自分の所為だ、、、」

となったり、

 

また、ある人は

「こんな話するつもりではなかったのに、、」

と恐らく親しい間柄の人にも話さないような

極めて個人的なことを初対面の人ばかりの中で

話してしまったりします。

 

そして、

結論めいたことや解決策など何も出て来ていないのに

不思議と皆が満たされた感覚に包まれるのです。

 

皆が「安全」と「安心」を感じ取り、

深いレベルでお互いを開示しあい

心地良い関係性が出来上がっています。

 

何の決まり・決め事も無いのにそうなってしまう。

 

いや、無いからこそ、そうなるのかもしれません。

 

そこにあるのは上下や優劣の関係ではなく、

ただお互いが同じ立ち位置で向き合っている関係。

 

そこでは「動機づけ」られて話をしているのではなく、

話す(という行動をとる)ことを「勇気づけ」られている

 

感覚があります。

 

それを感じているからこそ、

誰に強制されるわけでもなく

義務感にとらわれることもなく、

皆が素直に自分が感じていることを

話しているように思います。

 

こんな経験が

 

「動機づけ」より「勇気づけ」

 

の重要性を自分に感じさせてくれました。

 

今日もここまでお読みいただきありがとうございます。

  

では、また。