「習慣化」でうまくいく〜二つの「トトノエル」の実践

何事でもうまくいくための「習慣」を身につけるために、私が日々実践していることを中心にお伝えします。

「完璧」と「最善」

先日ある打ち合わせをしていた時のことです。

 

いい感じで話が進んでいたのですが、途中で話が混沌になりかけました。

 

それはどんな状況だったかというと、、、

 

ほぼ8~9割は話がまとまってきたのですが、

 

「でも、こういう場合はどうしますか?」

 

という問いかけが出たところからです。

 

確かに、ありえないケースではなさそうですが、

そんなに頻繁に起こるようなことではなさそうに

私には思えました。

 

でも、この問いかけをきっかけに

全体がそのレアケースをどうするかということに

議論が移っていきました 。

 

「こうすればいいんじゃない」

 

「いや、そうするとこっちが、、、」

 

「なら、こうしたら、、、」

 

「いやいや、それでは今度はこれが、、、」

 

出口が見えなくなってきました 。

時間ばかりが過ぎていくように感じられます。

 

こんな感じのことって、経験ありませんか?

 

こうした場合、疑問を投げかける人は大抵の場合、

 

「賢い人」です 。

 

「賢い」から「よく気がつく人」なんです。

 

何に「よく気がつく」のかというと

 

「欠点」や「足りないもの」

 

に気がつくのです 。

 

完璧にしないと気が済まないのです。

 

「賢い人」の発言だから、みんなもそれが大事なことだと思って

 

そのことについて一生懸命に考え出します。

 

皆で「完璧」になることを目指しだします。

 

こうして、決断のスピードが遅れてしまいます。

 

全てを完璧にしようとしても無理なことも多いです。

 

だから全方位的に目を配りすぎると、

 

全てがちょっと足らない形になったりします。

 

何だか特徴のない面白みのない結論になってしまいます。

 

どうも、私たちには一回で完璧にしなければという思い込みがあるみたいです。

 

学校のテストで常に合格点をとっていなければいけない、という感じです。

 

確かに、テストで不合格になったら困ります。

 

でも、それはその時だけの話です。

わからないことは次にわかるようになればいいだけのことです。

 

1回の赤点=人生の落伍者ではありません。

 

1回の失敗=人生の失敗者でもありません。

 

遠くかなたにある「完璧」を目指していてもいいでしょう。

 

でも「完璧」を実現することはできません。

 

「完璧」になったらもう先はありません。

そこでおしまいです。

 

不完全であるからこそ、次に進んでいけます。

 

「完璧」を実現しようとするより、今できる「最善」を尽くす。

その結果を受けて、次はその時点での「最善」をまた目指す。

 

こんな風に考えた方が、心が軽く行動も取りやすい気がします。

 

今日もここまでお読みいただきありがとうございます。

  

では、また。